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【信仰随想13】おぢばで頂いた勇み心 桜井支部長 榮嶋勇次
年祭活動一年目の昨年、大教会長様より修養科一期講師の御命を頂き、10月から12月までつとめさせて頂きました。 一期講師を拝命してから、自分が修養科生だった時のことを思い出しました。 ちょうど30年前修養科へ入った私は、うつ状態と診断され、薬を飲... -
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【信仰随想12】地域に陽気ぐらしの種を 郡山支部長 植田孝雄
教祖百四十年に向かう三年千日も、1年目が過ぎ2年目に入りました。 去年を振り返り、私自身、教祖にお喜びいただけることができたか思い返してみて、足りなかったことが多いと感じています。 しかしながら、今も結構に親神様の御守護をいただいて元気に暮... -
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【信仰随想11】教祖年祭と私 磯城支部長 刀祢貴志
今年(令和五年)もあと五日で暮れようとしています。 この時期になると、私はいつも父の事を想い出します。 その前に、教祖の年祭は、十年一節とも成人の旬とも聞かせていただきます。 私にとってもこれまでの年祭は、人生の節目に当たり、成人する機会や... -
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【信仰随想10】成ってくる理を喜ぶ 西吉野支部長 島広海
諭達に「教祖は…どのような困難な道中も親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。」とあります。 私達信仰をしている者は、「成ってくる理を喜ぶ」という話を聞かせて頂きます。 その意味は読んで字のごとくであり、成って来たことを喜ぶということ... -
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【信仰随想9】先人の道すがら 百年に思いをはせて 東吉野支部長 中西佐内
教祖百四十年祭に向かう三年千日の時旬の中にあって、敷島大教会より年祭の活動方針をご提唱くださり、「ひながたを目標に教えを実践し、救け一条の歩みを進めよう」とお示しくださいました。 その活動方針を受けて、当教会も達成目標を「月次祭の充実を目... -
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【信仰随想8】人助けとは 奈良支部長 向正訓
肩に痛みが出て、思うように腕が上がらなくなってきました。 医者に行くと、放って置いたら大変なことになると言われ、何も分からぬまま、手術をしてもらいました。 たった一週間ほどの間でしたが、入院して気が付いたのは、「人間は病むと、こんなにも孤... -
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【信仰随想7】教祖の御心を糧に 南奈良支部長 山澤 登
『逸話篇』の「一二三 人がめどか」では、「教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衛に、『やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。』と、お諭し下された。」とあるように、自分の生来の癖を取るというのは、なかなか取れるも... -
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名器への幻想⑧【其の五十一】
こうして書いてきたが、「名器」とはどんな楽器を指すのか結局判らない。 まず「何々天皇が某神社に祈願のため奉納した楽器」とか「何々天皇の御物」。 または「左大臣某の所持していた楽器」といったいわくのついたグループ。 つぎに「誰々が吹いていた(... -
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名器への幻想⑦【其の五十】
意外に何の装飾もない素筝が弾くと良く鳴ったり、無名の何と言う事のない篳篥が音の抜けが良かったりするものである。 それが(2) のグループに属する楽器達である。 前にも書いたように、篳篥とか笛とい楽器は細工を施して美術品にすることは出来ない... -
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【信仰随想6】てびきを受けとめ次世代へつなぐ 生駒支部長 田中年男
昨年4月より生駒支部長としてつとめさせていただくことになりました。 時あたかも教祖百四十年祭三年千日に向けて動き出そうとする年、秋季大祭には真柱様より「諭達第四号」を発布くださるという節目の年であります。 それまでの三年間は新型コロナウイ... -
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名器への幻想⑥【其の四十九】
いつの時代にも戦禍というのは文化財を損失させる。 第二次世界大戦とその後の混乱でも、貴重な楽器類の焼失と海外流失が多々あったと聞く。 江戸時代になり、天下が統一されて戦いのない平穏な世になると、大名家が装飾品を兼ねて雅楽器を揃えるようにな... -
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【信仰随想5】心澄み切る教えに学ぶ 山辺支部長 北谷清
この道は、「腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教えやで。」(明20・3・22)とお教えいただく。 腹を立てると【内臓の働きが悪くなり、体内に毒素が発生する、又、交感神経と副交感神経の調和が崩れ、様々な症状が現れる】という話をどこか...