年祭活動をお打ちだしいただき、心を定めて歩み出した三年千日も早くも中間になりました。
前半を振り返りますと、私の周りでは身上事情のご守護やようぼく信者の方々の成人の姿、また、親心のこもるおてびきなど、「たすけの旬」と言われる旬の追い風をたくさん頂戴しています。誠にありがたい限りです。
ところが、日が経つにつれて初めに定めた心も少しずつ緩み、喜びも当たり前に変わってくるのが人間のココロというもの。
神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う。(明治31 年5月9日)
人間というのはご守護を戴き感激したあの日のココロさえもつい忘れ、油断、隙ができてくるものだと教えていただくように、気がつけば様々な行事に追われ、年祭への緊張感も緩みがちな自分自身の心の弱さを反省するばかりです。
残り一年半、御存命でお働き下さる教祖にご安心いただき、お喜びいただける心の成人に向けて、一日一日油断のないように歩ませていただきたいと思います。
イソップ童話に有名な『ウサギとカメ』の話があります。
あらすじは、ある時、ウサギとカメが山の頂上へ向かって競争することになりました。
当然ウサギの方が速いのですが、油断して途中で寝てしまい、その間にコツコツ歩くカメが先にゴールへ到着したという話です。
油断大敵、日々の着実な歩みが大切だという教訓でありますが、実は「よーいドン」と出発した時点でカメが勝つと決まっていたのです。
なぜか。それはウサギの目標はカメに勝つことだったから。カメに勝ちさえすれば良かった。
一方、カメの目標はゴールすることでした。
スタートの時点で両者の目標は違ったのですね。
だから、ウサギは追い抜いた時点で目標達成できると油断してしまい、結果、カメに負けてしまったのです。
目指す目標というのは本当に重要だと思います。
教祖が啓いてくださったこの道を信仰している私たちお互いの目標、ゴールは何でしょうか。
先の年祭で真柱様は、
「教祖の年祭はゴールではありません。世界一れつをたすけて陽気ぐらしの世界を実現するための、長い道程の一里塚であります。(中略)この道は世界一れつをたすけて陽気ぐらしの世を実現することを目指す、末代かけての道であります。『続いてあってこそ、道と言う。』(明治39年5月21日)
と仰せくださいますが、先人たちが一生懸命布教してつけた道が途切れるようなことになっては目的地に到達できません。
紆余曲折はあっても、途切れることなく続き、やがて陽気ぐらしへと至る往還道につながっていることが肝心なのであります」と仰せ下さいました。
親神様の望まれる陽気ぐらしという大目標に向かって、油断することなくカメのように一歩一歩着実に歩ませていただきたい。
そのなか教祖年祭という旬の大きな後押しをいただいて、より大きく、より早い歩みを進めさせていただく今。
一年半後、旬のお陰でこれだけ成人できましたと、ご存命の教祖にお喜びいただけるよう、教会や地域の仲間と共に、日々喜び一杯、精一杯にたすけ心で歩んでまいりたいと思います。