年祭活動一年目の昨年、大教会長様より修養科一期講師の御命を頂き、10月から12月までつとめさせて頂きました。
一期講師を拝命してから、自分が修養科生だった時のことを思い出しました。
ちょうど30年前修養科へ入った私は、うつ状態と診断され、薬を飲みながらの修養科生活でした。
当時はまだ、精神的な身上の理解も進んでなく、誤解や偏見が怖くて、身上のことを伏せておりましたので、組係、それもひのきしん担当の組係に任命されました。
薬の副作用で朝なかなか起きることができなかったり、頭の回転が鈍くなっていたりと、担任の先生にはたいへんご迷惑をおかけしました。
ですから私も、組係で苦労するだろうと覚悟して臨みました。
しかし、実際は優秀な良い組係さんばかりで、安心して任せることができました。
授業では、教祖伝を担当しましたが、いろいろな気づきがありました。
例えば教祖は「をびやゆるし」を出される前に、まず自らで試されました。
これを「をびやだめし」と言いますが、教祖は安産されたのではなく流産されました。
一つ間違えれば命も危ないという流産の場合でさえ、一心に親神にもたれておれば、少しも心配ないとあり、流産もご守護であることがわかりました。
実は何年か前、家内がある妊娠された方のおたすけで「をびやゆるし」を頂いてもらったのですが、流産(死産)されました。
私共はこの方に謝りに行きましたが、釈然としないものが残っておりました。
しかしこの「をびやだめし」を勉強する中で、この方は実はご守護頂いておられたのではないか、本当は母子ともに危ないところを母親だけでもたすけて頂いていたのではないかということに気づかせて頂きました。
また、私の担任したクラスでは半数にあたる11名が、まだおさづけの理を拝戴されていませんでした。
この11名全員が一度におさづけの理を拝戴させて頂けるか、とても心配しました。
その中、拝戴日の二日前に拝戴予定の修養科生さんが発熱しました。
コロナやインフルエンザならどうしよう。もしそうなら同じ詰所の方にも感染し、全員そろっての拝戴もかなわないのではないか。
しかし、先案じをしても仕方ありません。神様にもたれる心でいこうと心に決めました。
ありがたいことにコロナでもインフルエンザでもなく、次の日に熱も下がり、当日全員そろっておさづけの理を拝戴させて頂きました。
無事おさづけの理の拝戴が終わり、みんなで喜んでいると、おさづけを拝戴されたある修養科生さんが「先生、これはゴールではなくスタートですよ」と言いました。
私はハンマーで頭を殴られたような気がしました。
ようぼくになったということはこれから親神様、教祖の道具衆として、しっかりおさづけの取次ぎに励んでもらうスタートに他なりません。
小さな責任に安堵することなく、大きな目標にむかって精進させてもらわないといけないと修養科生さんから教えて頂きました。
教祖年祭の旬はまさしく我々ようぼくが親神様、教祖の道具衆として動かせて頂く旬です。
ようぼくが互いに励ましあいながら、教祖百四十年祭に向かって勇んで通らせて頂きたいと思います。