【信仰随想18】二つの心定め 教区主事 松尾憲善

教祖百四十年祭活動、三年千日の二年目の年に当たり、ご存命の教祖にご覧いただき、お受け取りいただけるよう、努力を重ねているところであります。

只今は、七月の半ばで、年祭活動の折り返し点ですが、この七月という月は、私の家において、大きな出来事がありました。

松尾家の入信は慶応二年ですが、明治五年、長男が身上になり教祖におたすけを願うことになりました。

その時、教祖は「七十五日の断食」をされておられ、周りの人からの反対もありましたが、いてもたってもおれず、願い出ますと、教祖は、「どうなることやらわからんが、行く事にしよう」と、日を七月二日と決めてくださいました。

七月二日という日は、一年のちょうど真ん中の日であります。

また、教祖が断食をなされて三十八日目が七月二日であり、七十五日からすれば、ちょうど真ん中の日でもあります。

教祖が、七十五日の間、断食をされたことは、後になってわかることであって、まさか断食中の半ばの日に、おたすけで松尾の家へ来られるとは思ってもいなかったであろうし、十三日間ご滞在いただいたことも不思議なことであります。

ご滞在中、教祖は「髪の毛をすいてくださる」ということを四回なさっておられます。

その行為を通して長男にお仕込みくだされたと推察できます。

また、親に対しても、心定めするまで、時間をかけ労を惜しまず、真実を尽くすことを御自らお示しいただき、ご教示くだされたのだと思います。そのおかげで、神様をお祀りさせていただくこととなり、教祖御自ら神様を祀り込みくださったのであります。

二つ一つと申しますが、それぞれ真ん中の地点があります。

一年の半分の地点、教祖断食の半分の地点。

さらに、長男の出直しが十五歳であり、子供と大人との境の地点。

それぞれ意味があると思案します。

旬々に応じて、私たちは「心定め」をいたしますが、個人として定める時は、今までの経験から申せば、一つだけでなく二つの心定めをした方が良いと思うのであります。

一つは、ようぼくとして教祖の道具衆の自覚から、教祖が望んでおられることを心定めさせていただく、も
う一つは、自分自身として何ができるかを考え、心定めさせていただく。

私のようぼくとしての心定めは、「初席者を毎月一名以上お与えいただくこと」です。

ありがたいことに、今月(令和六年七月)で、百三十九ヶ月続いており、初席者数は二百三十三名です。

また、自分自身の心定めは、家での朝食と夕食はおかずだけで、ごはんを食べないことにしています。

朝食時の味噌汁は、お椀にお玉一杯分だけをすくって食べます。

上手くすくえず、具なしの味噌汁になる時がありますが、それはそれで楽しいのです。

よくすくえた時はヤッタ!と喜んでいるのですから、喜びを探して、楽しんだら良いと思うのです。

年祭活動後半に向け、この二つの心定めの実行につとめて、ご存命の教祖に、陽気ぐらしに向かって精一杯努力している姿をご覧いただき、お受取りいただきたいと思います。

一つ誠治まれば 思い掛けない理寄りて来る。