ひながたを心の頼りに– category –
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【信仰随想12】地域に陽気ぐらしの種を 郡山支部長 植田孝雄
教祖百四十年に向かう三年千日も、1年目が過ぎ2年目に入りました。 去年を振り返り、私自身、教祖にお喜びいただけることができたか思い返してみて、足りなかったことが多いと感じています。 しかしながら、今も結構に親神様の御守護をいただいて元気に暮... -
【信仰随想11】教祖年祭と私 磯城支部長 刀祢貴志
今年(令和五年)もあと五日で暮れようとしています。 この時期になると、私はいつも父の事を想い出します。 その前に、教祖の年祭は、十年一節とも成人の旬とも聞かせていただきます。 私にとってもこれまでの年祭は、人生の節目に当たり、成人する機会や... -
【信仰随想10】成ってくる理を喜ぶ 西吉野支部長 島広海
諭達に「教祖は…どのような困難な道中も親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。」とあります。 私達信仰をしている者は、「成ってくる理を喜ぶ」という話を聞かせて頂きます。 その意味は読んで字のごとくであり、成って来たことを喜ぶということ... -
【信仰随想9】先人の道すがら 百年に思いをはせて 東吉野支部長 中西佐内
教祖百四十年祭に向かう三年千日の時旬の中にあって、敷島大教会より年祭の活動方針をご提唱くださり、「ひながたを目標に教えを実践し、救け一条の歩みを進めよう」とお示しくださいました。 その活動方針を受けて、当教会も達成目標を「月次祭の充実を目... -
【信仰随想8】人助けとは 奈良支部長 向正訓
肩に痛みが出て、思うように腕が上がらなくなってきました。 医者に行くと、放って置いたら大変なことになると言われ、何も分からぬまま、手術をしてもらいました。 たった一週間ほどの間でしたが、入院して気が付いたのは、「人間は病むと、こんなにも孤... -
【信仰随想7】教祖の御心を糧に 南奈良支部長 山澤 登
『逸話篇』の「一二三 人がめどか」では、「教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衛に、『やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。』と、お諭し下された。」とあるように、自分の生来の癖を取るというのは、なかなか取れるも... -
【信仰随想6】てびきを受けとめ次世代へつなぐ 生駒支部長 田中年男
昨年4月より生駒支部長としてつとめさせていただくことになりました。 時あたかも教祖百四十年祭三年千日に向けて動き出そうとする年、秋季大祭には真柱様より「諭達第四号」を発布くださるという節目の年であります。 それまでの三年間は新型コロナウイ... -
【信仰随想5】心澄み切る教えに学ぶ 山辺支部長 北谷清
この道は、「腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教えやで。」(明20・3・22)とお教えいただく。 腹を立てると【内臓の働きが悪くなり、体内に毒素が発生する、又、交感神経と副交感神経の調和が崩れ、様々な症状が現れる】という話をどこか... -
【信仰随想4】こころに花を 御所支部長 長谷川理一
自教会の庭のハナミズキが今年も少しではあるが咲いた。 この木は、長い期間花芽を付けなかったので、もう根から切って終おうかと悩んでいたが、この数年前から少しずつ花を咲かすようになったのである。 花が咲かず悩んでいた頃、ある先生から聞いた三代... -
【信仰随想3】三年千日を歩む前に 五條支部長 山本喜信
この度の世界的な大節とも言える新型コロナウイルスの感染拡大で社会の動きが大きく変わったと思えます。 様々な行事や活動がストップとなり、今まで当たり前に行えた団体活動が出来なくなりました。 想像出来なかった事だけに各方面に大きな影響を与え、... -
【信仰随想2】ひながたは よろこび 天理市支部長 増田正義
諭達の中で「ひながた」という言葉が何度も出てきます。 一口に手本ひながたとなればどうしても姿かたちを真似ることを考えてしまいますが、教えていただく「教祖のひながたの道」を、思案して私達にお見せ頂く、その場面場面で使う心が大事では無いかと思... -
【信仰随想1】相手の身になって考える 西奈良支部長 岩田春和
私達は「おやさま」から初めて親神の思いと運命を切り替えて幸せになる道として、心の遣い方の筋道を教えて頂きました。 しかも、それだけでなく、親神様の思いのままに通る事が、幸せにつながって行くことを、自らの行いを持って具体的に示して下さいまし...
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