【信仰随想9】先人の道すがら 百年に思いをはせて 東吉野支部長 中西佐内

教祖百四十年祭に向かう三年千日の時旬の中にあって、敷島大教会より年祭の活動方針をご提唱くださり、「ひながたを目標に教えを実践し、救け一条の歩みを進めよう」とお示しくださいました。

その活動方針を受けて、当教会も達成目標を「月次祭の充実を目指して、おつとめ奉仕者としてつとめましょう」と定めさせていただきました。

その中、大正1 2年1月1 7日に教会設立のお許しを戴いてより、本年で百年という節目の年を迎えさせていただき、おつとめ奉仕者もご守護いただき、百年を祝う記念の集いを賑やかに勤めさせていただきました。

親神様・教祖・祖霊様にもお喜びいただけたと思います。

以前昭和5 6年1月2 6日、中山善衛三代真柱様より諭達第三号が御発布くださいました。

昭和6 1年1月に教祖百年祭をご執行くださるにあたり、「その元一日を振り返り、親心を偲び、今後の決意を新たにしたい。 百年は十年を十度繰り返して過した年月の重さを物語る。 百という字の意は白紙に戻り一より始めるを謂う。」との一文がございました。

諭達第三号を改めて拝読させていただき、私たち会長夫婦は今一度教会の在り方について、一から考え直す旬ではないかという思いに至りました。

又、今回御発布いただきました諭達第四号にもありますように、私たち天理教ようぼく信者としてすべきことは、「家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治りを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。」とありますように、教祖の道具衆であるようぼくのつとめであると思います。

教祖のお話しの中にも、「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん 」とあります。

教祖は、人の苦しみを自らの心の痛みとし、人の喜ぶ姿をみては自らの喜びとしてお通りくださいました。

人間は自分の立場から考えると必ず求める心が出てきます。

相手の立場に立って考えるようになると、与える心になると教えられます。

「ひながた」は、人に満足を与え、心に喜びを生み出す道である。そこから陽気ぐらしが始まると教えられます。

「おさしづ」に 「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」( 明治30・12・11)とありますように、教会は他の人々と共に喜び共に楽しむ場所でありたいと思います。

この御教えを信じ切って、末代へと続く道になるよう、会長夫婦が心新たに勤めさせていただきたいと思います。