以前に、伎楽(妓楽=呉歌舞)について少し記しました。
今回、もう少し詳しく書いてみます。
「昭和五十五年十月十七日、東大寺大仏殿前庭は五色の幕でおおわれ、金色の鴟尾が大屋根に輝く。黄、赤、緑、金、とりどりの散華が風に乗って舞い散る中を、おどるような笛の音が流れる。伎楽行道が始まった。先頭を行く治道は大きく腕を振って行道の進行を促す。庇持ち、楽隊の後に、長い裳を翻して呉女、呉女従が、異形の仮面をつけた迦楼羅や婆羅門が続く。かつて異国の調べにのり、目もあやな衣ころもをなびかせ、天平人の目を奪った天平の伎楽が、今再びよみがえった」
天理大学雅楽部が東大寺の昭和の大修理の落慶法要に演じた伎楽の模様を、大阪藝術大学教授で、伎楽の装束を手掛けられた吉岡常雄先生は当日のことをこのように記しておられる。
行道は、天狗に似た赤ら顔で鼻の長い治道が先導します。
行列や儀式の場を清め、邪鬼を見つけます。
その後ろを笛、腰鼓、銅鉦盤を奏する楽隊が続きます。
治道が見つけた邪鬼を次に続く獅子が退治します。
その獅子を獅子児があやしながら進んでいきます。
こうして、呉王、呉女、金剛、迦楼羅、婆羅門、崑崙、力士、大孤父、大孤児、酔胡王、酔胡従等が続く。
伎楽(呉楽)は、西暦六一二年に百済の味摩之が倭の櫻井にて少年に教えたという。
そして、飛鳥から平安・鎌倉時代まで演じられた伎楽もその姿を消し、雅楽が奏されるようになった。
以来、千数百年忘れられてきた。
それが、東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要を飾る一大プロジェクトとして復元されたのである。
復元は、NHKプロジューサーの堀田謹吾氏(企画)、元宮内庁楽部楽長・東儀和太郎氏(振り付け)、元宮内庁楽師・元東京芸術大学講師・芝祐靖氏(復曲)、東京芸術大学教授・小泉文夫氏(監修)、大阪芸術大学教授・吉岡常雄氏(装束製作)によって成された。
そして、演じたのが天理大学雅楽部である。