【信仰随想32】教祖140年祭にむけて 教区主事 上村知孝

教祖140年祭を目前に控え、これまでの歩みを振り返ると、様々な思い出が蘇ってきます。

はじめて意識をもたせてもらった教祖の年祭は、天理高校1年生としてひのきしんに励んだ教祖110年祭でした。

白川グラウンドでの駐車場整理は、今でも鮮明に覚えています。

当時のひのきしんは、純粋におぢばに帰られた方々に喜んでいただきたいとつとめておりました。

本部勤務を終え、自教会の青年勤めをしていたのが教祖120年祭です。

当時、青年会本部より打ち出された「別席者の増加」という方針を心に置いて、若輩ながら青年会の御用を精一杯つとめさせていただきました。

目標に向かってみんなで心を一つにする大切さを学びました。

大阪にある部内教会で会長を務めさせていただいた時が教祖130年祭です。

一人でも多くの方と共におぢばがえりできるよう、日々声掛け、にをいがけに歩みました。

年祭当日は、3名の方を連れてのおぢばがえりとなりました。

それぞれ別の老人ホームに入所されていたため、3人が揃ってのおぢばがえりは叶いませんでした。

そこで私は、おつとめが始まる前、お昼過ぎ、夕方と、それぞれ外出できる時間に合わせて、大阪とおぢばを3往復しました。

おぢばに到着するや否や涙を流し、「人生最後のおぢばがえり。

教祖に会えてよかった。

まさかおぢばに帰れるとは思わなかった」と言って喜んでくださいました。

おぢばはたすかる場所、教祖がお待ち下さる場所という意味を肌で感じさせていただきました。

本年1月4日、真柱様は、「年頭あいさつ」で、教祖140年祭に向かう全教の姿勢について、大切なご教示をくださいました。

「諭達は、全教が心をそろえて年祭に向かって歩むために出したものであります。みんな一手一つとなって、たすけ一条に邁進する姿をもって教祖にご安心いただき、お喜びいただきたいという気持ちであったのであります。一手一つというのは、一つの目的に向かって、それぞれが自分の与えられた立場の務めをしっかり果たすことによってご守護いただける姿ということができるかと思います。本当に一手一つになれば、自分一人では出ない力を与えていただくことができるでしょう。また、自分一人では味わうことのできない喜びを味わわせていただくことができると思うのであります。その一手一つになるためには、まず一人ひとりが教祖の思召に心を合わせることであります。すなわち、神一条になることであります。」

そして、真柱様は「神は心に乗りて働く。心さえしっかりすれば、神が自由自在に心に乗りて働く程に。」(М31・10・2)というお言葉を引用されました。

私たちの心が、「神一条」であることが大切であり、そこに大きな御守護をいただけることを教えてくださいました。

まもなく迎える教祖140年祭まで、真柱様の御言葉を胸に刻み、一人でも多くの方に、「おぢばに帰ってくることができてよかった」、「教祖にお会いできて嬉しかった」と言っていただけよう、心定め達成に向かって、最後の最後までにをいがけ、おたすけに懸命に歩ませていただきたいと心に誓っています。