
九月の『全教会布教推進月間』、直属の布教部の御用を通して、教友と共ににをいがけをさせてもらえる機会を多く頂けた。
その中で、個人的ににをいがけについて、気付かせてもらえたことがあった。
それは、にをいがけは、できるだけ自然体で、そして、継続的に続けられるやり方ですることが大切だということである。
この九月、継続的ににをいがけをされている二人の方と、其々別々の場所で一緒に実動させてもらえた。
一人は、妻の実家の教会から歩いて数分の距離にある教会の後継者で、数年前、妻が帰省中に子供達を公園で遊ばせていたところ、この方の教会のようぼくさんが、妻がお道の者と知らず、偶然、にをいがけして下さったことが縁で知り合った方である。
九月に家族で帰省した際、空いた時間に少しでも実動させてもらおうと思い、お誘いしたところ、「是非」と快諾頂き、一緒に実動させて頂いた。
ただ、一緒に実動させてもらった日、私にとって少し勝手が違ったことが起こった。
普通に会話をしながらにをいがけ場所の駅まで歩いて行き、到着した途端、「さぁ、始めましょうか」といった感じで、突然、にをいがけが開始された。
私がにをいがけをする時は、普段満足に実動できていない申し訳なさもあり、ここぞとばかりに気合を入れてにをいがけに取り組もうとする。
正直に言うと、スイッチを入れないと実動できないのだ。
戸惑っている私を横目に、その方は、「いつもされている感じでご自由にして下さい」と声をかけ、ご自身は、早々とリーフレットを配り始められた。
その姿勢に気負いや緊張はなく、よそ者の私がいても変わらず、自分のやるべき事を淡々とされている姿があった。
その様子を見て、にをいがけに対する取り組み方の違いに気付かされた。
普段から実動されているせいだろうか、全く肩に力が入っておられないのだ。
自然体なのである。私にとってにをいがけは、スイッチが入らないとできない特別なことだが、その方にとっては、日常だった。
もう一人は、同じ支部内の私と年齢が近い先輩の教会長さん。
ふとしたきっかけで一緒に戸別訪問に歩かせてもらえることになった。
結論から言うと、その日、私達が戸別訪問をしたのは、其々一件だけだった。
繰り返しになるが、私は、スイッチが入らないと実動ができない。
そんな私を察して、戸別訪問ができそうになるまでとりあえず歩こうということになった。
歩きながら印象に残る話が聞けた。
できるだけにをいがけに対するハードルを低くして、教祖を意識して一日でも多く継続的ににをいがけに歩かせてもらうことが大切だと聞かせてもらえた。
その話の通り、その日は、数時間歩かせてもらった後、一件だけ戸別訪問をして実動を終えた。
私のように、にをいがけに対して勝手にハードルを上げ過ぎている方は意外と多いのではと思う。
この年祭の旬、一日中歩いて、たとえ一人の方に声すらかけられなかったとしても、教祖を思い、多くのようぼくが継続的ににをいがけに歩くならば、その姿を教祖ならお喜び下さるに違いない。(Pぇ~)