
教祖年祭に向かう三年千日も後三ヶ月。今頃になって焦っております。
この度の年祭は今までの年祭活動とは大きく違います。
三年前の秋季大祭において真柱様のお言葉の中に、「全教が心揃えるためにも、知らない人は年祭の意味を知り、そして、をやの思いに沿わせてもらおうと積極的に歩む。そういう気持ちになってもらう。そのための材料としてこの諭達を利用してもらえばいいかと思います」と、この道に繋がるお互いがそれぞれの持場立場の中で、一人ひとりが常に教祖のひながたを心に一歩成人する努力をしてもらいたいとお話しくださいました。
教会では毎朝づとめにおいて諭達第四号を拝読させていただき、毎回気付きを与えていただいておりますが、その中にも、「教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。
その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
この一節が常に心に響きます。私はひながたを心の頼りとして懸命に歩んでいるのか、心の中で自問自答。成人の鈍い自分への情けなさに気付かされる毎日です。
四十数年前、大教会青年勤めをさせていただきました。
その当時平野知一大教会長様は、理に非常に厳しく、ぢば一条、おや一筋の方で、自分の身なり又身の周りのことには本当に無頓着な大教会長様でした。
ある役員先生が「親が3ナンバーの車に乗ってないのに我々が乗れるか」と言っておられた言葉が忘れられません。
見事にその当時の郡山部内教会で3ナンバーの車に乗っておられる教会はありませんでした。
「親の姿は子に映る」と言いますが、まことに親の姿が郡山部内教会全てに浸透していたように思います。
その大教会長様に仕込まれたその当時の先生方は皆一本筋の通った信仰を持っておられました。
父である前会長は一生バイクで通りました。
雨の日も風の日もその姿は私の目に焼きついております。
母は言ったそうです。なぜ車に乗らないのか。
すると父は「俺は車に乗ったら、たぶん遊ぶと思う。だから車には乗らん」と。
私は思うのです。
「先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り・・・」。
父は自身のくせ性分が分かっているからこそ、懸命に理の親の姿を通して、教祖ひながたの道を求めて通った生涯であったと思います。
さあ私はどうなのか。
子供達にそういう姿を示せているだろうか。
「しんどの中に実がある」「贅沢して居ては道付けられん」と聞かせていただきます。
年祭後も私達の信仰は続きます。いや続かなければならない。
だからこそ、年祭までの限られた時間を大切に、一歩一歩精一杯つとめさせていただきたいと思います。