伎楽について②【其の十二】

宮内庁楽部の上家は竜笛の他に伎楽笛方として伎楽の笛を相伝し東大寺興福寺仏生会の伎楽に奉仕していた。

差し支えた時は芝家に依頼しており、明治二年の最後の伎楽には、芝葛鎮が興福寺にて奏し、その後、伎楽笛譜が伝わっているという。

今回、芝祐靖氏に作曲が依頼されたことはむべなるかなという気がする。

この芝祐靖氏が昨年、2019年7月5日、悪性リンパ腫のため83歳で逝去された。

誠に残念なことであり、ご冥福をお祈りする次第である。

ところで、この伎楽。

何処の音楽か判然としない。

先述の堀田謹吾氏は、「伎楽については、これまで考えれば考えるほどわけがわからなくなっていた。仮面一つとってみても、中国風の呉公、呉女の面があるかと思うと酔胡王などはっきり西域の紫髯緑眼の胡人をうつしたものもある。インドのバラモン僧をうつした婆羅門や黒人の崑崙の面もある。動物では獅子とインドの霊鳥の面があるといったぐあいで、これで一貫した筋の出し物になるのか、疑わしかった。」と書いておられる。

とにかく、笛、腰鼓、銅鉦盤の演奏を伴奏に演じられる仮面舞踊劇である。

「獅子奮迅」「笛吹き呉公」「崑崙と呉女の恋のもつれ」「太孤父の仏門帰依」「酔胡王の酒盛り」が最初につくられた。

教訓抄に残されている資料は、『呉公、楽屋に向かって笛を吹く』『迦楼羅、けらはみという』『婆羅門、これをむつき洗いという』と、断片的な記録しかない。

復元には苦労されたことであろう。

ところで、呉楽のくれというのは何処にあったのであろうか。

一般には中国の三国時代の呉(AD222~280)と思われてきたが、韓国の加羅の久禮ではないかとの説が有力視されている。

また、桜井の地も、桜井市ではなく、飛鳥の豊浦寺(向原寺)という説が有力になってきている。

因みに、神社のお渡り(渡御)に先導役を担う猿田彦はこの治道の名残りだといわれている。

また、正月などに門ずけに回ってくる獅子舞は、伎楽の獅子が今日に伝わったものである。