【信仰随想3】三年千日を歩む前に 五條支部長 山本喜信

この度の世界的な大節とも言える新型コロナウイルスの感染拡大で社会の動きが大きく変わったと思えます。

様々な行事や活動がストップとなり、今まで当たり前に行えた団体活動が出来なくなりました。

想像出来なかった事だけに各方面に大きな影響を与え、困惑する人々が大勢おられたように思います。

本教においても、こどもおぢばがえりから各会の総会やその他の行事がすべて中止か延期あるいは縮小と言った形でした。

教区支部でも同様な状態でした。

私の支部でも、殆ど活動という活動はなく、年に一度の全教会長夫妻、布教所長が集まる拡大例会も、会食がなくなり弁当配布で解散という形でした。

普段の支部例会でも資料配付のみで終わる事も何度かありました。

そんなコロナ禍三年目の昨年四月に支部長の辞令を頂戴しました。

教祖百四十年祭三年千日に入る前の年ということで、これから、年祭活動に向けて下準備の年として、コロナの節に大分慣れてきた中、今までとは違う動きを求められる年でした。

大切な旬に御用を頂戴して、しっかりとつとめさせて頂かなければと思いつつ、とにかく三年間は出来る限り不備のないようにというような思いでしたが、夏の頃、大教会の神殿当番の最中に盲腸破裂から腹膜炎を起こし、入院するという思わぬお手入れを頂きました。

今まで入院などしたことがなく、まさかというような思いで、我慢していましたら、とんでもない結果になり、周りの方はじめ、家族の者に大変迷惑をかける事となりました。

医師の話では「普通の虫垂炎なら三日で退院出来るのに、腹膜までいったから二週間はかかるだろう」と言われました。

無理は理が無いと言いますが、自分自身の招いた結果と反省し、どうなる事かと戸惑いながら、過ごしましたが、破裂した虫垂からの炎症により、腹水の量が多く、それがなくなるのを待つ事となりましたが、十日ほど食事も取れず、その間も医師から歩きなさいと言われ、身体のあちこちに管を付けたまま、院内を歩くのですが、なかなか大変でした。

けれども、まだ、生かせてもらっているのやなと思いながら、とにかく今を感謝して過ごそうと思いました。

すると、十日ほどした日から、殆ど出なかった便が出始め、それからは液体のような便が次から次へ出て、日に何十回もトイレに通わなければならない程でした。

その結果パンパンに腫れ上がったお腹が驚くほど引き、体重も8キロほど減りました。

それからは重湯を食べられるようになり、その後、早くに退院させて頂きましたが、あの時、頂いた食事が、あまり味のないものですが、どれ程おいしかったか、本当に忘れられません。

教祖がこかん様はじめ、家族の方に「水をのめば水の味がする」と仰ったあの教えが本当に心にしみ、親神様の御守護の有り難みは頭では分かっていても私は何も分かっていなかったのだと反省しました。

また、信者さんが入院して、苦しい思いでいるのも、本当にその苦しみは分かっていなかったのだと思いました。

けれども、この体験を通して、分からせて頂けた。本当に有難かったと思います。

これから、教祖のおひながたを求めて、難儀している方にたすかってもらえるよう、三年千日を通らせてもらいたいと思いますし、支部長としてもその役目を勇んでつとめさせてもらいたい思いです。