
毎年6月2日の早朝に、天理教三昧田分教会の境内地に集う方々がおられます。
教祖は「寛政十年四月十八日朝、大和國山邊郡三昧田に生れられた」と『稿本天理教教祖伝』(以下、教祖伝。11頁)に記されています。
そして、註一として、「寛政十年四月十八日は、西暦千七百九十八年六月二日にあたる」(同22頁)と記されています。
教祖のお誕生日は陰暦の4月18日、現在の暦では6月2日にあたります。
陰暦、陽暦は、正式には太陰暦、太陽暦のことで、太陰とはお月様のこと、太陽は文字通りお日様のことです。
日本では江戸時代まで陰暦(正確には太陰太陽暦)が用いられ、明治時代に陽暦に改められたために、それぞれ旧暦、新暦とも呼びます。
明治5年陰暦12月3日を、明治6年1月1日とした日から太陽暦が正式に採用され現在に至ります。(同109頁参照)
『教祖伝』においては、明治6年以降の日付けは陽暦で示され、陰暦が註記される形式に変わります。
教祖のひながたにおいては陰暦が重要な意味を持つからです。
たとえば、ぢば定めは明治8年6月29日ですが、陰暦では5月26日。
教祖の現身お隠しは明治20年2月18日ですが、陰暦では1月26日。
立教は天保9年10月26日(ちなみに陽暦では12月12日)です。
月次祭が毎月26日につとめられる由縁です。
ところで、陰暦と陽暦は、農事とも深い関わりがあります。
陰暦では毎年少しずつ時期にズレが生じます。
たとえば今年の4月18日は陰暦の3月2日、昨年の4月18日は陰暦3月21日。
来年の4月18日は陰暦3月12日。
農事の基本は火、水、風(太陽・日照時間、水、気温)の恵みにあります。
季節の移ろいを正確に知る必要から陰暦とは別に重宝されたのが二十四節気、七十二候、雑節です。
現代では季節感を味わう情緒的指標として語られることの多いこれらの用語は、かつての人々にとっては生活に直結したかけがえのないものでもありました。
二十四節気とは1年を24等分し、それぞれに「大寒、立春、春分、夏至、霜降」などの名を付したもの。
七十二候は72等分したもので、そのいずれにも当てはまらないけれども大切な指標として設けられたのが雑節です。
「節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生(はんげし)、土用、二百十日」などです。
またこれらとは別に、陰暦5月の田植えで忙しい時期を表す五月秋(ごがつあき)、麦の収穫に追われる時期(5月~6月頃)を麦秋(むぎあき)ともいいました。
おふでさき6号13のお歌にある「あき」はこの秋のことです。
八十八夜は、立春から数えて88日目を指し、霜害(そうがい)の心配がなくなる頃を意味しており、昔から当地では綿の種は八十八夜を目安に播くと良いとされてきました。
私が毎年5月3日を綿の播種日(はしゅび)と決めているのはそのためです。
H.A.M.A. 木綿庵(ゆうあん) 梅田正之