6年前、私はフランス、パリに行きました。
パリ・コレクションを観覧する機会に恵まれたからです。
初めてのヨーロッパ、それも芸術の都パリで、その最高峰たるパリ・コレクションです。
これはパリに行けば、あるいは住んでいれば誰でも観覧できるわけではありません。
観覧できるのは招待をうけた関係者のみ。宿泊場所を提供してくれたフランスの友人の「うらやましい」という言葉が、浮かれている私に「観衆」としての自覚を促します。
パリ・コレクションは開催期間中、パリのいたるところを会場に、各ブランドの新作がお披露目されます。
このショーの成否がビジネスとして大きな鍵を握っているので、どのブランドも半年に一回ずつ開催されるこのショーに大変力を入れるようです。
私がルーブル美術館の前を通りかかると、確かあれはルイヴィトンだったと思うのですが、特設テントの入り口にこれでもかという量の草花をクレーン車で飾り付けしているところでした。
準備にこれだけの手間と労力を費やすのですから数日間~数週間の会期を設けるのかと思いきや、たった一度きり、わずか数十分のショーのためというから驚きです。
ショーが終われば、すぐさま解体。
それが一つの場所だけでなく、街のいたるところで現れては消えていくのです。
パリが芸術の都と言われるゆえんを垣間見たような気がしましたし、同時におぢばで開催された研究会で、空間の豊かさは時節のイベントが現れては消えていくことと深く関係しているという主張を思い出しました。
おぢばでいえば、こどもおぢばがえり。
特設ステージがいたるところに現れては名残も惜しまず消えていきます。
さらには神苑に整然と並んでは消えていくパイプ椅子も空間の豊かさという点で非常に価値のある光景といえるでしょう。
さて、会場のあるコンコルド広場に向かうと、万が一の可能性を求めて人々が列をなし、招待客目当てのカメラマン、飛躍を目指す愛好家などがひしめいています。
周りを見渡せば、様々な国や人種の人々が一堂に会していることに気づきます。
もしかするとここは限りなく世界平和に近い場所かもしれないなどと考えながら、開場まで外で待っていると、まるで絵本「白雪姫と七人の小びと」から飛び出してきたようなファッションのおばさまがカメラに向かってポーズをとっています。
おそらく愛好家の方でしょう。
身につけているものすべて自作だとわかるのは、身体のラインに合っていないのが私にも見て取れるからです。
しかし、なぜか風景に溶け込んでいます。もしかするとそれは芸術の持つ寛容さと貪欲さのなすわざかもしれません。
世界各国の文化をどう吸収し、昇華させるか。
芸術の進歩は、「かっこいい」と「ダサい」を紙一重で同居させます。
少なくとも会場の中と外でそうなっていましたし、異国にいながら、どことなく居心地の良さを感じたのは、進歩の前には皆、平等だという芸術の精神に触れたせいかもしれません。(山田潤史)