アメリカンスクールライフ【永尾篤夫②】

オーストラリアで高校生活を送った私が次に向かった先はアメリカの最北東メイン州。

オーストラリアとは真逆の気候で、冬場は辺り一面雪に覆われ、気温もマイナス10度を前後する、絵に描いたような雪国でした。

初めてメイン州の空港を出た時、辺り一面雪が積もっており、大学までの道も距離は近いのに、歩くのに苦労をしたのを覚えています。

大学生活で最初に苦労したのは英語です。高校3年間をオーストラリアで過ごしたため、アメリカの英語が理解しがたく、授業は少しでも気を抜くと、一気にわからなくなってしまいます。

同じ英語でも国によってこんなにも違うのだと痛感しました。

日本語でも方言がわからない外国人と一緒の感覚だと思います。

それでも3ヶ月もすればアメリカ英語にも慣れ、楽しいキャンパスライフを過ごすことができました。

私の住んでいた町は田舎です。

そんな町で人生初の一人暮らしを経験します。

最寄りのスーパーまで車で30分、もちろんコンビニなんてなく、町を走るバスも最終便が夜7時。

1万人以上の学生が通う大学がある町とはとても思えません。

また、人口の90%以上が白人系アメリカ人で、アジア人は人口の2%未満でした。

そんな町のスーパーでも、今ではお米が手に入ったり、醤油が売っていたり、インスタントラーメンがあったり(味は保証できない)、食材は限られていましたが、日本食を作ることもできました。

クックパッドのおかげです。

アメリカにてラグビーチームと

オーストラリアやアメリカと日本の違いを聞かれるとまず思い浮かぶのが、授業風景です。

オーストラリアやアメリカの授業で寝ている学生はほとんどいません。

日本で大学の講義を覗いたことがありますが、寝ていたり授業以外のことをしている学生が多く、衝撃でした。

あちらでは、自分で働いて授業料を稼いだり、奨学金をもらっている学生が多く、授業で寝るなんてお金を捨てているのと一緒だという考えです。

自由の国アメリカは自由な分、自己責任の国とも言えるのかもしれません。

アメリカでもラグビーチームに入りました。

練習は週3回の2部リーグ所属のチームでしたが、大学1年生の時のキャプテンがその後アメリカ代表に選ばれたり、そこそこ強いチームでした。

しかし、マイナースポーツの宿命なのか、大学から援助費用はほとんど出ません。

在学中に一度だけ全米大会への出場が決まった時でも援助金はわずか2万円程度。

全く足りないので、募金を集めたり、空き缶を売ったりして、なんとかベンチ入りできる23名分の費用を集め、36時間かけて全米大会の行われる州まで行きました。

今となっては楽しい思い出です。

間違いなく留学させていただいたおかげで視野が広がったと思います。

アメリカの教友とおぢばに帰り、かんろだいの前で額ずきながら自然と流れた涙。

おぢばが人類のふるさとだと改めて実感できたのも海外を経験したおかげでした。

いざ、世界たすけ!(永尾 篤夫)