【陽気人の散歩道】求む、未信者の修養科生

私が教会長になって四年が経ちましたが、毎年人づくりの心定めにしていることがあります。

それは、未信者の方を一名、修養科へ行っていただくことです。

ところが、まだ、一度もその心定めを達成できたことはありません。

なぜ私が未信者の方の修養科生にこだわるのかというと、理由は二つあります。

一つは、未信者の方が修養科を修了されると『ようぼく』となって、おぢばから戻ってこられ、それは、初席やおさづけの理拝戴も済ませたことを意味します。

教会を預かる者として、人づくりの実績を作るという上では、願ったり叶ったりというところです。

まぁ、ここまでは、半分冗談です。

もう一つ、本当の理由はこっちにあります。

それは、未信者の修養科生をご守護頂くことをきっかけに、なかなか活発とは言いづらい自教会の活動を、盛り上げていけないかと考えているからです。

具体的にはこんな感じです。

修養科を志願される未信者の方には、身上や事情を抱えておられる方が多いと思います。

そのような方をご守護頂いた場合、抱えておられる問題の大きさに関係なく、男性なら私が、女性なら妻が、一緒に修養科へ行こうと思っています。

そして、余分に発生する私の分の修養科の費用は、信者さん方にあえてご負担していただこうと考えています。

「費用を負担してもらう」と聞くと、ちょっと図々しく聞こえるかもしれません。

でも、大切なのはそこではありません。

費用を担っていただくことで、私だけではなく、信者さん方も「教会みんなでおたすけしている」という一体感が生まれるのではと思うのです。

そして、その一体感こそが、教会としてのおたすけの力になると信じています。

また、費用の共有に加えて、情報の共有も大切にしたいと思っています。

修養科中であっても、教会の月次祭には帰らせてもらい、お連れした方の修養科での様子をご本人の承諾を得た範囲内で、信者さん方にしっかりお伝えするつもりです。

修養科を志願された一人のご縁が、教会全体の「おたすけの心」をひとつにしていく、そんな輪が広がればと願っています。

まぁ、こんな感じで頭の中では熱く描いているのですが、現実は、なかなかそうはいきません。

空虚な妄想に耽ってばかりで、未信者の修養科生はいまだご守護頂けておりません。(涙)

そんな私を見越してか、絶妙なタイミングで大教会長様より、修養科一期講師の御用を賜りました。

この四月から三ヶ月間、男子クラスの副担任として、自教会の御用は前会長である母と妻に託し、おぢばに伏せ込ませていただいております。

「まず自分が動いてみなさい」という親神様・教祖のお導きかもしれません。

今回の御用をしっかりとつとめさせて頂きながら、いつの日か未信者の方とともに修養科へ参る日を楽しみに待ちたいと思います。(Pぇ~)