この時代、催馬楽、朗詠、風俗歌などの宮廷歌謡も華やかに展開した時代でもありました。
催馬楽は地方の民謡などが宮廷に取り入れられ、大陸伝来の音楽様式に準じて編曲されたもので、「梅枝」「総角」「東屋」などの源氏物語の巻名は催馬楽の曲名からきています。
曲数は、呂:五拍子 十三首。呂:三度拍子 十四首。律:五拍子 五首。律:三度拍子 十一首の四十三曲が催馬楽略譜(源有俊写本)に載っています。
風俗は、催馬楽と同じように平安中期に広く好まれた歌謡で、陸奥、常陸、相模、信濃、甲斐など東国が多かったようである。
民謡風の曲趣で、ほぼ同じような旋律で歌われたらしいが今日に伝わっていない。
また、国風歌舞というものがあります。
神楽歌、東遊、久米舞、大歌、大直日、大和歌などであるが、これらの歌舞は、天武天皇四年(六七五)に各地域や氏族等によって伝承されていた歌舞が都に集められ宮廷歌舞の中に取り入れられました。
国風歌舞には次のものがあります。
国栖奏(奈良県吉野地方の歌舞)
筑紫舞(九州地方の歌舞。諸もろあがたのまい県舞は廃絶)
諸県舞(筑紫舞と共に九州地方の歌舞)
久米舞(久米部の伝承歌舞)
吉志舞(吉志は中国、朝鮮との対外交渉に従事した氏族に与えられた姓)
楯伏舞( 土師宿禰)、文忌、寸等によって伝えられたが、現在は廃絶)
隼人舞(薩摩、大隅地方の歌舞)
倭舞(通説では大和地方の歌舞)
悠紀(東国) 主基(西国)地方の風俗歌舞
また、朗詠は漢詩に曲をつけて歌ったものであり、二の句が継げない、という慣用句はこの朗詠から出た言葉です。
そして、催馬楽や朗詠に二つの流派ができました。式部卿敦美親王の源家 と源博雅の藤家 ですが、戦乱の世に衰退いたしました。