
八木大教会初代会長、岸本又治郎先生は、瀕死のやけどをご守護頂かれてより、おぢばに近い大和八木の地に居を構え、仕事を終えては毎日おぢばにお礼に帰られました。
五代会長の祖父、六代会長の父もおぢばへの日参を続けていました。
私が会長になってからも申し伝えのように受け継がれ、おぢばへの日参を続けています。
おふでさきで、
はや/\とをもてでよふとをもへとも みちがのふてハでるにでられん 2‐13
と教えられるように、おぢばへの日参は、自分と親神様との間の道づくりの一つとしても大切な教えの実践と考えています。
こうしたことから、大教会として直轄教会長に日参の励行を伝えて、大教会への参拝者も増え、おぢばへ足を運んでから大教会に参る会長もいます。
韓国の或る会長さんは、日参の励行を推進した時に、韓国からは大教会へ日参は出来ないが、何かできる方法はないかと考え、ファクシミリによる日参を始められた。
毎日、会長である父に日本語で、「親神様、教祖の御守護のお陰でお元気でしょうか。」と文章が始まり、その日の一日の行動を報告された。
私が会長になってからも、韓国語が解かる私には韓国語で、前会長には日本語で、先の挨拶の文言に続き、日々の路傍講演やおたすけの様子を報告してくれました。
ある日、電話で「会長さん、ファクシミリが五日ほど届きません。私に日参をやめろと言うんですか?」と。
機器が故障していて、慌てて電気店に買いに行ったことも。このファクシミリの日参は出直されるまで二十数年続きました。
信仰初代であるこの方は、韓国伝道庁、韓国教団の要職を歴任し、大相撲が大好きで、おぢば、大教会を慕う気持ちがとても強い方でした。
その信念には驚かされましたが、こうした真実から、目に見える大きなご守護も数知れず見せてもらわれました。
おさしづに、
元という、ぢばというは、世界もう一つと無いもの、思えば思う程深き理。 (明治28 ・10・11)
とお示しくださるように、ぢばを慕い続ける心に、教祖は大いにお応え下さることを教えられました。
本年は表統領先生より、「この一年、一度でも多く教祖に勇んだ姿をご覧頂けるように、重ねてのおぢばがえりを申し合わせたい」と、お話がありました。
ぢばへ親を慕い、帰らせて頂くことは、御守護、たすかりの一番の基本であり、誰もがおぢばがえりから道の信仰の歩み出しをさせて頂いている、お互いの原点であります。
三十年ほど前、韓国からの帰参者をおぢばへお連れした時、教祖殿の緑青屋根が見えた瞬間、バスの中でシクシクと泣き声が聞こえます。
どうしてと尋ねると、教祖にお目にかかることができる喜びと感動の涙です、と。
信仰のバロメーターは、こうした「教祖」との熱い思いで測ることができるのだと感じます。
また、教会長のおぢばがえりは、単に個人の参拝だけではなく、教会を代表して、真実を寄せてくださる方々の思いを担っての帰参であることも忘れてはならないでしょう。
年祭活動仕上げの年の残された時間を、教祖を慕う熱い思いでぢばへの日参を続け、既に親神様から縁を繋いで頂いている身近な方への声掛けに、果敢に励ませて頂きたいと思います。