
今年は、年祭活動の三年目に当たり、ご本部より、心定めの完遂とおぢばがえりを特に意識してつとめてもらいたいとお示しいただきました。
私は、教祖が、心定めとぢばの理を改めてしっかり思案し、一手一つになってつとめるようにとお仕込みくださったものと、受け取らせていただきました。
親神様がお創りくださったこの世界で、一番大切なことは心定めである、とお教えくださっています。
心定めとは、親神様の思いに沿って何か一つの決心をし、または目標を決めて、そのことを親神様にお誓いするとともに、その実現に向かって徹底的に努力することだと思います。
年祭活動の目的は、仕切って心の成人を進めることにあります。
それは、教祖のひながたを手本に、三年と仕切って教えを徹底的に実践し、親神様の御守護、教祖のお働きを実感して、筋金入りの神一条の信仰心を培うことであると思います。
そのためには、まず自分はどうするのか、心を定めなければ何も始まりません。
親神様は、「定めるということは、これならできそうだから心定めをしようというようなものではない。難しいと思うことでも、心を定めるから治まってくるのである。まず何でもどうでもという精神で心定めをし、どうでも実現しようと努力していくから治まるのである」というように教えてくださっています。
年祭活動に入ってから、私がお預かりしている教会では、次から次へと大きな節をお見せいただいています。
「事情無ければ心が定まらん」とお教えくださることと考え合わせると、教祖の思いに適う心定めをしっかりして通りなさいということでしょう。
「神は心に乗りて働く。心さえしっかりすれば、神が自由自在に心に乗りて働く」とお教えいただくように、親はたすけてやりたい、守ってやりたいとの心ばかりであります。
私たちに心定めを望まれる所以であります。
昨年の四月に、海外の部内教会長が登殿参拝の予定でしたので、月次祭のお役と神殿講話をお願いしていました。
ところが、帰参予定の前日に、急に腰痛が悪化して歩けなくなったので帰れそうにありませんと、取り急ぎお詫びの電話をくださいました。
その後、その会長は、お見せ頂いた身上を思案し、ぢばの理を軽んじていたのではないかと深く反省され、自営業の息子からまとまったお金を借りて理立をし、教会でお願いつとめをしていただきました。
すると、翌日嘘のように楽になり、予定通り帰参されてすべての御用をつとめられました。
しんぢつに心さだめてねがうなら ちうよぢざいにいまのまあにも(七号43)
「本当に心の底から心を定めて願うなら、自由自在の働きをすぐに現わす」とおふでさきでお諭しくださるようなお働きをお見せいただいたのです。
年祭活動締めくくりの年に当たり、ぢばの理を重く受け止め、心定めの完遂を心に誓い、普段より多くおぢばに足を運び、心を繋ぐようつとめさせていただきたいと思います。