【信仰随想33】ひながたを心の頼りに 教区主事 冨松基成

三年前、教祖百四十年祭に向かうにあたって、真柱様は諭達をご発布くださり、全教ようぼくが一手一つに資する上から、その歩み方をお示し下さいました。

そこには、「教祖の親心にお応えすべく、ようぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である」とされ、「ひながたの道を通らねばひながた要らん。(中略)ひながたの道より道が無い。でおさしづを引用され、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを進めることをお促し下さいました。

私の教会でも、諭達の精神を受けて、三年間の心定めをしました。

それは、「千日千人たすけ」という目標のもと、教祖のひながたを実践し、自分にできるおたすけを毎日何からでもさせていただこうというものです。

そこで、私は、「毎日の神名流し」と「千回のおさづけの取り次ぎ」と「毎月百枚のチラシ配り」を心定めしました。

神名流しとおさづけの取り次ぎは、毎日とはいきませんが、出来ない日は次の日にさせていただいたりと、いずれも今日までで千回を超えることができました。

チラシ配りは、ポスティングになることがほとんどですが、時間を作りなんとか続けています。

神名流しをしていても誰も聞いてくれませんが、時々、「頑張ってね」と声をかけてくださる人がいて勇気づけられます。

私も路傍講演や神名流しをしている人を見かけると必ず声をかけるようにしています。

誰も聞いていないかもしれませんが、教祖はきっとお喜びくださっていると思うと、頑張れます。

チラシ配りでは、「結局ゴミ箱行きかな、こんなことして意味があるのかな」と思うことがありました。

そんなある日、ポスティングをしようとしたお宅のご婦人が出てこられて、「いつもあなたが入れていたの」と言われ、怒られるのかと思いましたが、「これはいい事が書いてあるわね、皆さんにも見てもらえるように玄関に貼ってあるのよ」と言って下さいました。

ちゃんと見ている人もおられるのだと喜ばせていただきました。

また、チラシ配りをしているとおさづけを取り次がせていただくことがあります。

腰痛で何度かおさづけを取り次がせていただくようになったご婦人から、「冨松さんの手はすごく温かいですね」と言われます。

その方は、きっと教祖の温もりを感じてくださっているのだと思います。

教祖は、いつも「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』177)と、仰せになっておられました。

私は、教祖のような「おたすけ」はできませんが、毎日少しでも人のたすけになるように心掛けて、親神様、教祖にお喜びいただきたいと思っています。

このような気持ちで通らせていただける年祭活動は本当にありがたく、自分自身がたすけていただいているのだと感じております。

真柱様は、「力いっぱいつとめたという充実感と喜びをもって年祭を迎えることができるように、最後まで勇んでおつとめください」と仰せ下さいました。

教祖百四十年祭までの残りの日をしっかりつとめ切って、年祭当日を喜び心いっぱいに迎えさせていただきたいと思います。