名器への幻想⑦【其の五十】

意外に何の装飾もない素筝が弾くと良く鳴ったり、無名の何と言う事のない篳篥が音の抜けが良かったりするものである。 

それが(2) のグループに属する楽器達である。

前にも書いたように、篳篥とか笛とい楽器は細工を施して美術品にすることは出来ない。

またこれ等の楽器は、演奏する人間が自分で作ったものらしい。

従って美術品としての価値はないのだが、良い楽器は見ただけである程度判るものである。

表現としては難しいのだが、あえて言えば「姿が良い」とか「伸びやかだ」「清々しい」などとなるのだろうか、見るからにバランスよく伸び伸びとして素直な、そして何となく落ち着きを感じさせる楽器は演奏しやすいことが多い。

楽器の制作者にはどんな人がいたのだろうか。

絵画や彫刻と違って名前や経歴の判っている人物は殆どいない。

特に笛とか篳篥は演奏者が自分で作ったらしいのと楽器に名を入れるスベースもないせいもあってか、作者の判っている楽器を私は知らない。

笙に関しては事情が少し違って僅かではあるが作者の名が残っている。

一番古いのは、十二世紀前半( 平安時代後期) 奈良の正暦寺の僧慶俊が知られている。

経年のため残っている楽器は少ないが、見る人に伸びやかで素直な感じを与える笙である。

鎌倉時代初期、奈良の信貴山にいた僧の行円、この人の彫った舞楽面も残されている。

行円より少し後の同じ信貴山の僧で頼尊。

ただ、この人たちが彫金・蒔絵までを自らやったのかどうか私は知らない。

琵琶・筝になると残っているのは鎌倉から室町以降なので、作者の判っている楽器も多い。