笛は 横笛、いみじうをかし。遠うより聞ゆるがやうやう近うなりゆくもをかし。近かりつるが遥かかになりて、いとほのかに聞ゆるも、いとをかし。車にても、徒歩よりも、馬よりも、すべて懐にさし入れて持たるも、なにとも見えず。さばかりをかしきものはなし。まして聞き知りたる調子などは、いみじうめでたし。暁などに忘れてをかしげなる枕のもとにありける、見つけたるもなほをかし。人の取りにおこせたるをおしつつみてやるも、立文のやうに見えたり。
《注釈》
笛は 横笛が、とてもすばらしい。
(その音が)遠くの方から聞こえるのがだんだんと近づいて来るのもいいものだ。
(反対に)近くに聞こえていたのがずっと遠くになって、ほんのかすかに聞こえるのも、まことに興味がある。車に乗っているときでも、歩いているときでも、馬上でも、どこでも(男性が)懐中に入れて持っていても、何か懐中にあるのかとも見えない。
(小さくて音色がいい)これほどすばらしい管楽器はない。まして、自分の知っている曲(を吹いているとき)などは、とてもすばらしい。
(また、・男が泊まっていって)夜明け前などにおき忘れて、きれいな横笛が枕のあたりにあったのを発見したのもやはりおもしろい。
(その)男が(使の者に横笛を)取りに寄こしたとき、(笛を紙に)包んで渡すが、立文のように見える(のもおもしろい)。
[補注]立文=縦長に折り、上下を端折る正式の書状。
《雅楽縹渺より》
昔は吹く楽器のことを「笛」といった。笙は「笙の笛」であり、箪築は「筆築の笛」である。笛はどうなのだろう。
「龍笛」とか「高麗笛」とか「篠笛」とは言うが「笛の笛」とはいわないようだ。雅楽器のなかで私(笛)だけは何も楽器の説明をしなくても誰にでも判ってもらえる楽器だろう。
また、笙も篳篥も雅楽独特の楽器であるが、私(笛)には「篠笛」「能管」「民笛」など、そのほかにも雅楽以外に多くの笛が有る。
雅楽だけに限っても「龍笛」「高麗笛」「神楽笛」と三種類あって、夫々の分野の曲によって使い分けるのだが、先ず一番需要が多いのは「龍笛」であろう。
この笛はあらゆる笛の中で一番太いのではなかろうか。