枕草子②【其の二十・二十一】

枕草子 二〇六

くものは 琵琶びわ調しらべは 風香調ふうかうちょう黄鐘調おうしきちょう蘇合そかふきううぐひすのさへずりといふ調しらべそうの琴、いとめでたし。調しらべはさうぶれん。

《注釈》

弾く楽器は 琵琶(がいちばんすばらしい)。

(その)調は、風香調。黄鐘調。蘇合の急。

(それから)鶯の囀りという曲(がよい)。

(弾く楽器では)筝の琴(という十三絃の絃楽器)が、まことに立派である。

(その楽器で弾く)調はさうぶれん(という曲が似つかわしくてよい)。

[補注]

風香調、黄鐘調=琵琶の調子の一つ。
蘇合の急=唐楽、蘇合香そこうのこと。急は じょきゅうの急。
鶯のさへずりという調=春鶯囀しゅんのうてん
さうぶれん= 相府蓮そうぶれん(想夫恋などの別名も)

《雅楽縹渺ひょうびょうより》

私(琵琶)の仲間は、日本に渡来した時は五絃と四絃の二種類があった。

同じ琵琶という名前が付いているが、見た目も構造もルーツもまったく違う。

すぐ判るのは、絃の数が五本と四本の違いであろう。

またほんの少し注意してみれば、糸巻の部分(首と言う)が五絃の方は真っ直ぐで四絃の方は曲がっているのに気がつく。

前者を「直頚ちょっけい五絃の琵琶」後者を「曲頚きょっけい四絃の琵琶」という。

「五絃の琵琶」というのは、現在世界でも「正倉院御物」に一面あるだけで、演奏法も判っていない。

古代中国の時代には非常に多く使われた楽器らしい。

従って、日本でも雅楽の渡来した時代にはよく演奏されていたと考えられる。

演奏に関係のないことだが五絃の琵琶の故郷はインドであり、四絃の方はペルシャで生まれたと言われている。

現在の私は四絃である。

仲間に「薩摩琵琶」「筑紫琵琶」等があり、夫々大きさが少しずつちがう。

なんで「琵琶」と呼ばれるのか由来はさだかではないが、押田良久氏は、「後漢時代に書かれた物の名前を解説した「釈名しゃくめい」という本によれば、「手をおして前に弾くのをといい、手を退けて弾くのをといい、この二字から琵琶という」とされている。

私(そう)には非常に近い仲間が多い。そうこときん

昔は「そうこと」「きんこと」等と、糸の張ってある楽器をことと称していたらしい。

そういえば「琵琶のこと」と書いてあるのも見た覚えもある。

こと」と「きん」。同じ字を書くが全然違うものであり、雅楽の琴を「楽筝」と言って他の琴と分けることもある。

筝を「ソウ」と読んだり「コト」と読んだり、琴を「コト」と読んだり「キン」と読んだり非常に紛らわしい。

琴には「一絃きん」「二絃琴」とか「七絃琴」などあるが、夫々の数の絃が張ってあり、左の指で抑えて音程を作り右手で弾いて音を出す。

洋楽器に警えれば、「こと」はピアノと同じで、既に作られている音を弾き、「きん」はバイオリンのように自分で音程を作りながら弾く、と言えるだろうか。

宇津保うつぼ物語」の主役は「琴」の方だが、今は「筝」の話である。演奏者より遠いほうから「一・二・三」となり十一からは「斗・為・巾」というが昔はもっと難しく有りがたい名前が付いていた。

参考までに書いてみると「仁・智・礼・義・信・文・武・・蘭・商・斗・為・巾」。

私のことを種々書いた「仁智要録じんちようろく」の名はこの絃名から取ったのである。

雅楽の中で私は重要なリズム楽器であるが、なんといっても琵琶と私の音が入ると一段と音楽に華やかさが増すと自負している。

昔から笙と私は高貴な方々に人気が高く、『源氏物語』を始めとする『王朝文学』の音楽の描写にはかかせない第一人者である。

「筝」は出来ている音程の楽器を右手で弾くと書いたが、実は平安の昔は左手を使って筝柱ことじの後ろを押したり揺すったりして、少し音程を変える奏法もあった。

「源氏物語」などに「由の音ゆかしく」等と記述されているのがそれである。

何時の頃からか左手の奏法はなくなり、現在の奏法だけになって仕舞った。

私(筝)も他の楽器と同じく、ただ拍子通りに弾けば良いというものではない。

先ず弾いている姿勢が大切である。

筝と平行に坐し、左手は自然にのびやかに絃の「斗・為・巾」の辺にゆつたりと置き、右手は「鶏足」と言うのだが、薬指と小指を真っ直ぐ下にのばし、人差指と中指は親指の関節に丸くあてて構える。