ご存命の教祖を感じた日【村田明彦②】

陽気な人々が暮すフィリピン、この国へ訪れた理由と心に残ったある出来事を今回は書かせて頂きたいと思います。

フィリピンに行くことになったのは、天理大学在学中に国際交流プロジェクトに参加したからです。学生だけでなく社会人の方々も一緒になって、現地での活動内容を作り上げていくというもので、現地では様々な活動に取り組みました。

例えば、音楽の授業をしたくても楽器のない現地の小学生の為に、日本で集めた使わないリコーダーを小学校に寄付して、音楽の授業をさせてもらいました。

低学年のクラスでしたが、英語を覚えたての片言のタガログ語で「ゆっくり吹いて」「もう少し優しく息をいれて」などなど、試行錯誤を繰り返しながら、二つのクラスにそれぞれ「エーデルワイス」と「カエルのうた」を伝授し、一週間後に全校生徒の前で発表会をしました。

子供達の姿を見て涙を流して喜ばれる先生方の姿が印象的でした。

また食品衛生の重要性を伝える為に、現地で調達できる薬品で出来る、廃油石鹸の作り方講座を行ったりしました。

フィリピンの屋台や貧困層の各家庭では概ね揚げ物油を真っ黒になるまで使用されていました。

それが癌や様々な病気の一因と聞かせてもらっていました。実際に現地の衛生状態というのは、きれい好きな方には受け入れがたい部分もあると思います。

さて、そんな私たちの様々な活動の拠点として受け入れて下さったのが、東本サンタローサ出張所の上田先生です。先生とのあるエピソードを最後にお届けします。

私達のプログラムの中にフィールドワークというものがありました。

内容は、お道の学生にとってはにをいがけ、一般の学生にとっては現地の生活を間近で見れる貴重な時間です。

先生と現地教友の方がおたすけに通う中で築いてこられた信頼関係もあり、私達も各ご家庭の中に入らせて頂き時にはおさづけを取り次がせて頂きました。

おたすけ先にて

フィリピンでは病院にかかるには先ずお金を払い、その領収書のようなものをもって行って診察してもらえると聞きました。

お金がなければ、薬はおろか診察もできないのです。なので藁にも縋る思いでおさづけを受けられて、引く手あまただったと先生は仰っていました。

私は先生とペアだったのですが、あるお宅で、見た目三才くらいの男の子におさづけを取り次がせて頂きました。

その帰路、当時おさづけが本当に効くのかと迷いにのあった私は、先生にそのことをお尋ねしました。

先生は「村田君、さっきの子供は何歳だと思った?あの子はあんなに小さいけど、もう十歳なんだよ。僕がここにきて十年だけど、あの子は肺に穴があいていて医者からは余名数か月と言われていたんだよ。

その子が今もこうして目の前に生きている。それが僕には何よりの姿だよ。」と優しくお話下さいました。

あれから十五年経った今書いていてもご存命の教祖の存在を感じて目頭が熱くなります。

遥か三千キロ以上離れた地でも、心に乗って教祖がお働き下さるんだと、心に刻み込まれた一日でした。(村田明彦)