【信仰随想26】最後まで使命感を持って 教区主事 高倉幹雄

私は先の教祖百三十年祭で、おさづけの取り次ぎを中心に掲げながら、取り次げなかったおさづけで残念な悔しい思いを経験した。

その日は夕づとめを通して、高齢の女性という以外、何も分からない方の無事無難をお願いさせて頂き、仕方なかったと自分に言い聞かせながらも、心はモヤモヤしたままで、何か教祖より頂いた大きなおたすけのチャンスを逃したような気がして、あらためておたすけに向かう姿勢をお誓いさせて頂いたと云うような事があった。 

状況的に仕方ない事であったと思いながらも、今もその場所を通る度に、あの取り次げなかったおさづけを思い出す。

そんなおさづけの取り次ぎに思いを強くしているつもりの私ですが、3年前のちょうど今頃、ある夢を見ました。

寝ているときに私が見た夢の話です。

年祭活動の始まる前年で、諭達御発布や関連の動きについて話題に上るような時期でした。

夢ですから設定はめちゃくちゃですが、その内容は、特にこの旬、私が忘れてはならない大切なことだと思い、すぐに妻に夢の話を聞いてもらいました。

場面はいきなり、20数年前に出直した前会長(父)と一緒に電車に揺られているところから始まりました。

しばらくすると、隣に座っている前会長が突然苦しみだして、床に倒れこんでしまいました。

大変だと思って声を掛けるのですが、気がついたら周りに四、五人の乗務員さんが居て、私は救急車の手配をお願いしていました。

それに対して乗務員さんは、この先の駅は病院になっているので、救急車は呼ばずにこのまま電車に乗っていてくださいとのことでした。

その通り駅に着いたら、そこは病院でした。

電車の扉が開くと担架と共に病院スタッフらしき人達が待ち構えていて、前会長は直にその担架に乗せられ病院の中へと運ばれて行きました。

私はやれやれと思ってその姿を見送ったのですが、そこで大変なことに気が付きました。

しまった! そう思った瞬間目が覚めました。

なんとおさづけの取り次ぎを忘れていました。

10数年前の残念な悔しい経験をしていながら、たとえ夢の中とはいえ、一番大切な事を忘れていました。

しかも今度は取り次げなかったではなく、取り次がなかったおさづけ。我ながら情けなさにショックでした。

教祖から「今あんたに足らんのはこういうことやで」と、前会長を夢に現わしてまでお仕込み頂いた様な気がいたしました。

年祭活動歩み出しに当たり、お見せ頂いた事をあらためて肝に銘じ、心に刻みなおしたようなことでした。

そんな気持ちを引き締め、気合いを入れて歩み出した年祭活動も残すところ半年程となりました。

にをいがけでの訪問先のお宅で、先に訪ねてきた若い布教師のことをニコニコと話して聞かせてくださるご婦人の姿に、彼が届けた良いにをいを感じながら、嬉しい刺激をもらい、果たして私の姿はどの様に映っているのだろうかと振り返る機会を与えて頂いたり、おぢばでは、おさづけの取り次ぎ先を求めてあちらこちらと殿内で声を掛けてまわる学生達に出会うなど、それぞれの心定め達成に向け一生懸命つとめる若い人達の姿に元気と勇みをもらい、年祭活動の風を感じさせて頂いている。

今は何をおいても動くことが大切な旬。

たん/\とよふぼくにてハこのよふを はしめたをやがみな入こむで (15号60)

とのお歌を頼りに、自信と誇りと使命感をもって、最後までしっかりと動かせてもらいたい。