【信仰随想21】日々実践 教区主事 山本道朗

私は若い頃、「自分は教祖のひながたのような通り方はできない」と思っていました。

そんな私の考えが大きく変わったのは、布教の家入寮中に前真柱様から聞かせていただいたお話でした。

前真柱様は私たち布教の家の寮生に「教祖が五十年のひながたの中で一番ご苦労くださったことは何だと思う?」とお尋ねになった上で、

「ひながたの中に教祖が警察や監獄にご苦労下さったというようなことがあるけれども、教祖ご自身はそんなことは少しも苦労だと思っておられなかった。

その証拠に『いそいそとおでかけになった』と教祖伝に書いてあるじゃないか。

そんなことよりも教祖がひながたで一番ご苦労下さったことは、『親神様の思いをわかろうともしない人間に、どうすれば親神様のお心をわからせることができるか』ということだったんだ。」とお話し下さいました。

そして「そういうことで申せば、今君たちは布教の家でまさにそれをやっている。つまり今、君たちはひながたを辿っているんだ」とお聞かせ下さいました。

それまでの私は、ひながたという言葉を聞くと「貧に落ちきられた」とか「断食をなさった」とか「監獄へ行かれた」といったことが自然に頭に思い浮かんでいました。

だから「それは自分には絶対にできないこと」だと思い込んでいた訳ですが、前真柱様からそうした形に表れたことではなくて、大切なことは、私たちが身の周りの人に何とか親神様の思いを伝えさせてもらいたいと努力することなんだと教えていただいたお陰で「自分にもひながたは実践できる」と考え方が大きく変わりました。

また私は子供の頃から父に「山本の家がこうしてあるのは、おぢばのお陰や、真柱様のおかげや。だからそのことはどんな時も絶対に忘れたらあかんぞ」と、ことある度に聞かされてきました。

若い頃はその意味もわからず、父の言葉を軽く聞き流していましたが、その後、自分が一人の信仰者として歩み始めていくに従ってその大切さがだんだんと心に染みこんで、今では本当に大切な自分の信仰信念となっています。 

私の家は身上の父を教祖にたすけて頂いたところから信仰が始まり、歴代の真柱様にお導き頂いてきたおかげで今日があります。

そしてこれまで何度も大きなふしの中をたすけて頂いてきました。

だから少しでもご恩返しをさせていただきたい、お喜びいただきたいという気持ちを忘れず毎日を通らせていただいています。

そしてその中にも只今は自分たちの成人した姿を教祖にご覧いただき、お喜びいただけるように精一杯つとめさせていただく年祭活動の旬です。

考えてみたら、信仰者としてしっかりつとめられる教祖の年祭活動というのは僅かな回数しかないと思います。

そういう意味においても、この度も自分なりにしっかりとひながたを実践して、少しでも教祖にお喜びいただけるよう勇んでつとめさせていただきたいと思います。