【信仰随想19】勇み心を持って 教区主事 北出雄三

私は、昭和21年教祖六十年祭の年に、一信者の家庭に生まれました。

戦後の食べ物の乏しい混乱した時代であり、九人の家族が生活をすることは大変であったと今でも思うのであります。

当時の詰所生活の中で親がどのような心で通ったのか分かりませんが、母は、にをいがけ、おたすけに、又、おぢばに日参をし、ひのきしんに励む姿は、今でも思い出します。

現在私が、教会で結構に勤めさせていただけるのも、親が伏せ込んでくれたおかげと思うのであります。

昭和56年、結婚を機に仕事を辞め、教会長後継者として道一筋に歩むことになりました。

「教会は結構なところや、親神様の御用と人様に喜んでいただくだけで結構に通らせていただけるのやで」と、常々親が言っていた姿を今、見せていただいているのであります。

教会生活の当初は、教祖百年祭に向かって、詰所が普請されたばかりで、主任として開所式の準備や、信者の受け入れ、修養科生の丹精、詰所維持管理などの忙しい日々が続きましたが、帰参者に喜んでいただける事を心に通らせていただきました。

結婚して5年間は、子供に恵まれませんでしたが、教祖百年祭を迎えるにあたって、事情教会復興の御命をいただき、教会長の理のお許しを戴いた翌年、教祖百年祭の年に、長男をお与えいただくという御守護をお見せいただきました。

これも、親神様に少しでもお喜びいただけるようつとめたおかげと思わせていただくのであります。

以来、三度の年祭も届かぬながら、心勇んでつとめさせていただきました。

諭達第四号で「ひながたの道を通らねばひながた要らん」とありますが、教祖のひながたは、貧に落ちきるところから始められ、迫害や投獄など艱難辛苦の中、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を、五十年に亘って陽気に勇んで歩まれました。

その道すがらは、とても真似することは出来ませんが、しかし、教祖伝逸話篇を拝読させていただくと、教祖の噛んで含めるようなお言葉の端々に込められた子供かわいい親心にお応えさせていただこうと、信仰の歩みを進められた先人達の道すがらが記されているのであります。

教祖がたすけたいとの親心をもってお示し下された心の持ち方、歩み方は、真似をすることは出来ると思います。

たすけ一条の道を歩ませていただくには、何事も喜び勇んでつとめさせていただかねばならないと思うのであります。

お言葉に「陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。」(おさしづM30・12・11)とありますが、たすけ主はあくまでも親神様、教祖で、人をたすけるという行いは、言葉や行いで人を勇ませ喜ばせる以外にないと思うのであります。

早朝に、御本部参拝させていただくと同じ時間に同じ顔ぶれの人が、御守護を願い参拝されて、又、回廊ひのきしんに励まれる姿を見ると、私も勇ませていただくのであります。

一人のようぼくとして、年祭に向かって、このさきハたすけ一ぢよにかゝりたらどのよなものもいさむばかりや         (八ー六十九)とのお言葉を心に、日々勇んで歩ませていただき、人の喜びを我が喜びとさせていただきたい。