雅楽から生まれた言葉⑤【其の二十七・二十八】

千秋楽

この言葉を知っている人は多いでしょう。

相撲の最終日のことを言いますね。

その他、芝居などの興行の最後の日、また、物事の終わりなどにも使われます。

千秋楽は雅楽の盤渉調の曲名です。

後三条天皇か、近衛天皇の大嘗会に作られた曲です。

この曲が、物事の終わりを表す意味に使われたようになったのには、諸説があります。

①舞楽法会などの最後に、この曲を演奏することが多かった。

②雅楽の譜本は昔、盤渉調が最後に誌されていて、その中でも千秋楽が一番最後に記されていた、ところから最後にあたるものを千秋楽とした。

③謡曲『高砂』が語源という説。謡曲の『高砂』の最後の句である「千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ。―略―」から転じたもの。

④当て字から発生した、という説。

秋が終、楽が落に通じることからできたとされる説です。

ある雅楽人の著書に「江戸時代の書物芝居や宴会が終わりになることを『千秋楽をうたう』と表現している例がある。

私は、これは雅楽ではなく、謡曲の『高砂』のことだと思う。

今でも謡曲の会では最後に高砂の『千秋楽は民を撫で、万歳楽には命をのぶ』という文句が、よく謡われる。

江戸時代には能だけではなく、興行や宴会の最後に広く謡われていたのではないだろうか。

おしまいを意味する『千秋楽』の由来は、実は謡曲の方にあるような気がしてならない。」とも書いてありました。

たしかに、その説もあるし納得のいく部分もあるが、千秋楽という言葉は雅楽の曲名であることには間違いはない。

萬歳楽も同様に雅楽曲にあり、謡曲が流行するよりはるか以前より、使われてきたことが伺える。

雅楽は限られた人の音楽であり、大衆には無縁の音楽であった。

それを一般に広めたのが謡曲であり、その中で使われていた雅楽の用語が広まったのではなかったのではないかと私は思っている。

「拍子抜け」「間がわるい」「調子が崩れる」などの言葉も、一般には歌舞伎や芝居、芸事などで使われる、としているが、雅楽の演奏に照らし合わせればしっくりと収まる言葉である。

これも、雅楽から派生したものだと思っている。

太平楽

のんきなさまをいったり、気楽な様子をありさま。

また、好き勝手なことを言ったりしたりする時に使われます。

この言葉は、唐楽・太平楽から来ています。その舞は鉾を持ち、太刀を抜いたりして舞う、優美な武の舞で、即位の大礼後の饗宴で舞われます。

天下泰平を祝うさまから舞われたといいます。

この舞は、漢の劉邦と楚の項羽が鴻門こうもんで宴席をともにした際(鴻門会こうもんのかい)、楚の項荘が舞いながら劉邦を殺そうとしたのを、漢の項伯が剣を抜いて舞いながらそれを防いだ、という故事にもとずいています。

この時代の故事からの言葉には「四面楚歌」「捲土重来けんどちょうらい」「背水の陣」「敗軍の将は兵を語らず」「先んずれば人を制す」「左遷」「右にでるものはいない」などの数々の言葉があります。