奈良教区災救隊、能登半島地震被災地へ出動
元日に発生した「令和6年能登半島地震」の被害は甚大で、現在も約一万人が避難所生活を余儀なくされており、水道などのインフラ復旧にはいまだ見通しが立っていない。こうしたなか、災害救援ひのきしん隊奈良教区隊(植田一平隊長)は、災救隊本部からの出動要請により、本部隊5次隊として、1月30日~2月2日にかけて隊員6名が石川県珠洲市へ出動し、炊き出しなどの救援活動を行った。
1月30日早朝7時教務支庁に集合した隊員は、車両2台でおぢばを出発。
道中、能登半島へ入ると同時に道路事情が悪く、地震の被害を目の当たりにしながら、8時間半の道のりを経て本部宿営地となっている和洋菓子店「メルヘン日進堂」へ夕方に到着した。
現地にて大阪教区隊と合流し、結隊式を行い、翌日からの活動内容を話し合った。
2日目からの主な活動内容としては、奈良教区隊は宿営地すぐ近くの避難所(旧保育園施設)で夕食の炊き出しであったが、避難所では水道、ガスが復旧されておらず、調理は宿営地で行い、運搬して配食する形で行った。
炊き出し初日のメニューは親子丼、2日目は牛丼を調理した。
親子丼には白米10キロ、鳥肉15キロ、卵150個、玉ねぎ90個と、普段調理しなれていない量の食材を使うため、戸惑いながらの作業ではあったが、火加減や味付けに苦心しながらも、150人分を用意した。
避難所では約90名が生活されており、その施設の周りの方々も炊き出しの受け取りに来られていた。
盛り付けた食事を手渡す際、皆さんとても嬉しそうに礼を言いながら受け取って下さり、「温かい食事が本当にありがたい。天理教さんのお陰です。」と言って下さる方もおられた。
また、当初は炊き出し以外の予定は無かったが、奈良教区隊は家屋の復旧作業に慣れている者が多いとの本部スタッフの期待により、調理、配食以外の空いた時間に、被災された布教所の屋根修繕を依頼された。
期待に応えられるよう準備し、屋根に上ったものの、残念ながら悪天候により屋根作業は見送りとなったが、2日間で別のお宅2軒、崩れた壁のブルーシート張りや壁材瓦礫搬出などさせて頂くことができた。
市内はトイレ事情も深刻で、公共施設前の駐車場などに仮設トイレが設置されていたが、清掃が行き届いておらず、使いっぱなしで汚れはひどい状態であった。
見るに見かねた隊員の発案で、市役所前の仮設トイレを清掃させて頂きたい旨を市役所に連絡すると「是非お願いしたい」と快諾頂き、高圧洗浄機と水タンク、ブラシ、バケツ、タオルを持参し、ピカピカにさせて頂いた。
これがきっかけとなりその後の他教区隊も清掃作業を続けて下さっている。
最終日、午前中の作業を済ませた後、午後2時に現地解隊式を済ませ、帰路についた。
途中仮眠をとり翌2月3日早朝、奈良教務支庁に到着。出迎えていただいた教区長に無事帰着の御礼と作業報告を行い、労いの言葉を頂き、解隊となった。
現地での復旧活動は道路啓開がされただけの状態で、被災家屋、瓦礫の撤去などはまだまだこれからの状況です。
被災され明日をもわからない不安な日々を送る方々が多くおられ、まだまだ困っておられます。
一日も早い復興と心安らげる日を迎えて頂けるよう、お祈り申し上げるとともに長期にかけて救援に協力させて頂きたいと思います。(19日記・森田甚一副隊長 )