ことばを残し伝える【髙橋冬樹②】

前月は香港の言語について、「両文三語」という言語政策を中心にご紹介しました。

「両文」とは、中国語の標準語と英語の書き言葉を指し、そこに現地で生まれ育った香港人の母語である広東語を加えた話し言葉が「三語」を意味します。

実はこの広東語、今少し危うい立ち位置になってきているようです。

十数年前まで、中国人観光客が香港に比較的自由に往来できるようになるまでは、「三語」の内標準語はさほど重要視されておらず、専ら英語の能力を高く買われていました。

しかし、ここ十年は標準語を話す機会が大幅に増え、英語よりも標準語のレベルが問われるようになってきました。

このような流れに加え、昨今の社会的動乱が主な起因となり、現在教育機関では標準語での授業が盛んになってきています。

これが何を意味するか簡潔に言うと、広東語の存在が危ぶまれる、ということです。

主要言語が数十年で入れ替わる確率はゼロに等しいですが、多勢に無勢と表現するのが正しいのか、現在の広東語は政治的に踊らされる微妙な立ち位置なのです。

そんな状況を打破するためか、特に若い世代を中心に、広東語で「書く」ことが一般化してきています。

既述の政策の「両文」に、なぜ最も多くの香港人が話す広東語が入っていないのでしょうか。

それは広東語が中国語の一方言であり、基本的には「話す」言葉だからです。

それを直接書くことによって、自分たちの言葉をなんとか守ろうと奮闘しています。

これは私たちが普段メールや手紙などを作成する際にキレイな文章を書きますが、例えばLINEなどでは、口にする言葉をそのまま直接文字に起こすことが多いようなものです。

この口語体は昔からあったのですが、市民権を得るまでには至らず、マッチの火の如くずっと燻っていたのです。

これについての詳細な説明は他に譲るとして、現在ではSNSや広告、映画の字幕など「書く」広東語が町中に溢れています。

これら香港の若い世代を中心とした、広東語に対しての熱い思いとそれを守ろうとする行動を、私はある身近なことに重ねて見てしまいます。

それは『おふでさき』を始めとした教祖のお言葉を守り抜き継承してくださった初代真柱様はじめ先人の先生方と二代真柱様の存在です。

どのような厳しい状況下でも、なんとか残し伝えなければならないと心を尽くされ、またそれを継承しなければならないとご尽力いただいたからこそ、今私たちは教祖のお言葉をいつでも拝読できるのだと思います。

こう考えると、お言葉を今一度読み返したくなるのは私だけでしょうか。

教祖百四十年祭の三年千日のこの旬に、お言葉を直接見て分かる私たちが、今一度素直に神意を求めて、正しく継承しなければならない。

そんな気が私はしています。

私が広東語を後世に残すためにできることは何もありませんが、親神様と教祖の思いを伝え広めることは、一ようぼくとしてこれからも微力を尽くしていきたいと思います。(髙橋冬樹)