玄象(げんじょう)【其の三十六・三十七】

博雅が絡む話の第一に琵琶の名器・玄象まつわる話です。

今は昔、村上天皇の御代に、玄象という琵琶が、突然、消えて失せてしまった。

これは皇室に代々伝わってきた由緒ある宝物であったが、このようになくなってしまったので、天皇がひどく嘆かれ、「このような貴重な伝来物が、朕の代になくなってしまうとは」と悲嘆なさるのも道理である。

「これは人が盗んだのであろうか。ただ、人が盗み取ったなら、自分では持っていることができない品であるから、天皇を心よく思わない者がいて、盗んでこわしてしまったげあろう」と疑われた。

その頃、源博雅という人が殿上人にいた。

この人は、管絃の道の達人であり、この玄象が消え失せたことを嘆き悲しんでいた。

ある晩、人が寝静まった後、博雅が清涼殿に宿直していると、南の方角から、あの玄象を弾く音色が聞こえてきた。

とても不思議に思えたので、「ひょっとして、聞き間違いか」と思って、あらためてよく耳を済まして聞いてみると、まさしく玄象の音色である。

博雅がこれを聞き間違えることはないので、大いに驚き怪しみ、人にも告げず、直衣のうし姿に、ただ一人くつだけを履き、小舎人童ことねりわらわ一人を伴って、衛門府えもんふの衛兵の詰所を出て、南のほうに行くと、さらに南からこの音が聞こえる。

「きっと近くだろう」と思って行くと、朱雀門すざくもんに至った。

やはり同じように南のほうから聞こえる。

そこで、朱雀大路を南に向かって行く。

「これは、人が玄象を盗んで、楼観に登って、ひそかに弾いているに違いない」と思いながら、急いで行き、楼観ところに着いて聞くと、なおも南のほう、ごく近くから聞こえる。

そこでさらに南に行くと、ついに羅城門にまで至った。

門の下に立って聞くと、門の上の層で、玄象を弾いているのだった。

博雅はこれを聞いて、奇怪に思い、「これは人が弾いているのではあるまい。きっと鬼などが弾いているのだろう」と思った途端に、弾きやんだ。

しばらくすると、また弾く。

その時に、博雅が言った。

「これは誰が弾いておられるのか。玄象が数日前に消え失せてしまい、天皇が捜し求めておいでになるが、今晩、清涼殿にて聞くと、南の方角からこの音色がした。それだ、尋ねて来たのだ」

聞いて、奇怪に思いすると、ひきやんで、天井から降りてくるものがある。

博雅は不気味に感じ、その場から離れて見ていると、玄象に縄を付けて降ろしてきた。

そこで、博雅はこわごわこれを取って、内裏に帰り参上して事の次第を奏上し、玄象を献上したので、天皇は大変感激されて、「鬼が取っていったのだな」と仰せられた。

これを聞いた人は、皆、博雅を褒めたたえた。

その玄象は今、朝廷の宝物として代々伝えられ、内裏に収められている。

この玄象はまるで生き物のようである。

下手に弾いて弾きこなせなければ、腹を立てて鳴らない。

また、塵が付いてそれを拭い去らない時にも、腹を立てて鳴らない。

その機嫌の良し悪しがはっきりと見えるのである。

いつであったか、内裏が焼失した時にも、人が取り出さずとも、玄象はひとりでに庭に出ていた。

これは、いずれも不思議なことである、とこう語り伝えているということだ。

以上が、今昔物語に載せられている訳文です。

さて、今回物語りに出てくる「村上天皇」は第六十二代天皇で、天慶9年(946)~康保4年(967)の在位で、その時世は「天暦の治」と称えられた。

玄象は玄上とも呼ばれ、古来、琵琶の名器として名高い。

玄象の名は撥面に黒象が描かれていたためと伝えられる。承和5年(838)に、遣唐使で雅楽家の藤原貞敏が、琵琶博士の簾承武から譲り受けて、朝廷に献上したといわれる。