風姿花伝【其の三十四】

雅楽から出た言葉の掲載を終え、箸休めならぬ筆休めとして、先に「序の口」(昨年7月号)の項で出てきました「風姿花伝」について、林望(はやしのぞむ・作家)氏が某紙に書いておられた文章を転載します。

世阿弥の『風姿花伝』、これじつは『花伝』という総称のもとに括られる七つの伝書のことである。

能楽が今日まで七百年近い年月を生き抜いてきたのは、その大成期に世阿弥という天才が出て、多くの名曲とともに、合理性を極めた『花伝』という教えを遺しておいてくれたおかげである。

その第一『年来稽古条々』には、一人の能役者が子方から老境に至るまでの、芸道修業の心得ともいうべきものが示されている。

まず、七歳から芸を教えるとして、その要諦はうち任せて、心のままにせさすべし。

さのみに、よき、あしきとは教ふべからず。

あまりにいたく諌むれば、童は気を失ひて、能、ものくさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなりということだと言う。

つまり子供にはあまり細かなことを口うるさく教えると嫌になってしまってものにならないぞ、と教えている。

子供たちに、まずはほめて教えて「興味を持たせる」指導をしたであろう世阿弥自身、あるいは世阿弥にそのように教えたであろう父観阿弥の面影が、ふと生々しく浮び上ってくる。

やがて、二十四、五歳にもなれば、芸はおおかた出来てくる。姿は若盛りとあって、おそらく役者としての人気も大いに出てくるだろう・・・・・・・

けれども、それは若盛りゆえの「珍しき花」に過ぎない、決してそれでおのれの芸が世の中に認められたなどと勘違いしてはいけないと、世阿弥は俄然厳しく教え諭す。

要するに世間の人からみれば、目新しく美しいということが人気の理由なので決して芸が出来上がったということではない、そこがしかし、多くの凡庸なる芸能者の勘違いしやすいところだというのだが、こんなことは今どきの若い俳優諸君にも、よくよく読ませたいところである。

そうして「初心と申すは、このころのことなり」と言う。初心は未熟な出発点のことではない、ようやく芸の基礎が固まった、そこを「初心」というので、「初心忘るべからず」というのは、まさにそのあわいを教える教訓にほかならぬ。

この第一『年来稽古条々』は「五十有余」で終わっている。父観阿弥は五十二歳で突然に死んでしまったので、それから先は世阿弥にとって「未知の時代」だったからである。

そうして「麒麟も老いては駑馬に劣る」という諺を引いて、「このころよりは、おほかた、せぬならでは手だてあるまじ」と恐るべきことを言う。

もう大向こうをうならせてやろうというようなことはするな、というのである。

とはいえ、観阿弥は死の半月前に、駿河浅間神社の奉納能で演能したが、「その日の申楽、ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり」とあるから、よほどの名人芸であったのであろう。

けれどもその頃、観阿弥は、「物数をばはや初心に譲りて、やすきところを少な少なと」演じたという。

つまりは、人の上に立つものは、その引き時を心得て、潔く後進に道を譲る心得が肝要だという教えである。

このように書くことはたやすいが、さて実際にはどれだけ実践できる人がいることであろうか。

さてまた、序文には、こうも書かれている。

「一、好色・博奕・大酒、三重戒、これ古人の掟なり。一、稽古は強かれ、情識はなかれとなり。」

世の成功者で、この三重戒に耳の痛い人も多かろう、これら俗なる享楽が人生を破滅に導く基であること、これは千古不易の真理である。

また「稽古は強かれ」というのは努力練習を怠るなという当たり前の原理であるが、次の「情識はなかれ」は、慢心して「俺が俺が」としゃしゃり出る心を去れという意である。

これまた当たり前のことだが、いやいやその当たり前がなかなか出来がたいのが世の人心だと、世阿弥は見抜いていたのである。

思えば、わが国が誇る能楽という伝統芸能の基底に、こういう恐るべき叡智が存在していたということを、みなぜひ知っておいてもらいたい。