物事の始まりのことを序の口といいます。
相撲でも最初は序の口から始まり、次いで、序二段などとあがって行きます。
相撲では、上の口(上にあがる最初の段階)といっていたのが、序の口となったようです。
この序の口は相撲の番付から来た言葉だと思われていますが、「序」という言葉は雅楽からの引用といえます。
西洋の音楽と同じく、雅楽でも複数の曲によって一つの曲が構成されています。
聞かれることもあると思いますが、雅楽では 序 破 急と表記します。
無拍子、無拍節で始まる「序」。拍子で始まる「破」。そして拍子が早くなる「急」と展開します。
この概念は、能楽、歌舞伎、浄瑠璃だけでなく武道、茶道、華道など芸事など全般に於いて用いられ、いわば日本人の精神的バックボーンとでもいうべき内容です。
序破急のことを知らずに日本の芸事、精神を語ることは出来ないといっても過言ではないでしょう。
この言葉は、能を大成した世阿弥が「風姿花伝」の中でもとりあげ、音楽や舞の領域を超えて芸道の哲学にまで広げて解釈し、道を極めるための極意となしました。
この序破急の演奏は全楽曲を一具 といいます。
現在完全に残っているのは、「五常楽」いう曲です。
それ以外にも完全ではありませんが、多く残っています。
長い曲では、全曲演奏するのに六時間ほどかかった、と聴いたことがあります。
そして、序でも「序一帖」「序二帖」というように何帖もあったといいます。
とちる= 芝居などでせりふ、しぐさを間違える、失敗する、やりそこなうなどのときに使います。
また、あわてふためくなどの意味にも使われていました。
これの語源は、雅楽に「五常楽」という曲がありますが、その竜笛の唱歌に「トロホルイ」と「チラハルイ」という歌い出し(音頭の部分)があります。
最初は前記の歌い出しで始まり、返ってきて2度目は後記の歌い方をします。
よくこのトとチの歌い出しを間違いますので、失敗することを「トチる」と言ったのが始まりだと言われています。
一説には、「とちめく」という言葉からきていて、あわてふためく意味に使われてきました。
その「とち」から橡麺棒(坊)で橡の実の粉を麺に延ばすとき、時間をかけると麺が固まるため、急いで作業しなければならないことから、あわてるさまを、橡麺棒の橡からとちる。となったとしています。
しかし、橡麺棒の場合はもともと「あわてる」「うろたえる」などの意味合いです。
とちるとは、失敗する、ミスるということですから、雅楽から出てきた言葉の方がぴったりとくるように思います。
いかがでしょうか。
※橡=つるばみ、クヌギ(ブナ科の落葉樹)の古名