雅楽から生まれた言葉②【其の二十四】

楽屋

楽屋とは、劇場やテレビ局などで出演者などが控える部屋です。

出演者などはこの部屋で更衣や化粧をして出番を待ちます。

雅楽では、楽人が奏楽をする場所でした。

昔、庭に舞台を造り、楽屋はそばに仮設のものを造り管方の演奏する場所にしていました。

四天王寺の聖霊会では左方・右方の楽屋が造られ、左と右に分かれて演奏をしております。

実際に、昔は左右に分かれて奏楽していたようです。

紀州藩十代藩主徳川治宝はるとみ公は風雅を好んだ大名として名高く、特に雅楽を愛好していたことは広く世に知られています。

治宝公が残した中に「西浜御殿舞楽之図」があります。

その中に左右の楽屋で演奏する様が描かれています。

管弦

管弦とは舞楽( 舞のあるもの) に対して舞の無い楽器だけの演奏形態を管絃といいます。

日本では、明治時代に洋楽(オーケストラ)が入ってきて、何と言えば(表現すれば)よいかとなった時、舞の無い音楽だから管絃と呼ぶことにした、ということだそうです。

また、オーケストラを管弦楽ともいいます。

この場合、雅楽は管絃と絃の字に糸偏を使いますが、オーケストラでは弓偏の文字を使います。覚えておいて損はないでしょう。

なお、明治時代に始めて西洋の音楽が入って来たとき、最初に履修したのは、宮内省の楽部の楽師さんたちであったようです。

以来、楽部では、雅楽と洋楽を演奏されており、御招宴などでB G M として演奏しているのが、宮内庁楽部の楽師の方々です。

ぎっちょ

ぎっちょとは毬杖ぎっちょうと書きますが、これは木製の槌をつけた木製の杖を使って相手の陣に毬まりを打ち込むという平安時代の遊びですが、今日のホッケーのスティックのようなものであったと思われます。

これが、「打球楽」という舞楽になったという説もあります。

この毬杖は普通右手に持って舞うのですが、ある時左手に持って舞った人があったことから、左利きの人のことを、「左ぎっちょ」とか「ぎっちょ」という言葉が出来たといわれています。