【信仰随想16】私たちの将来と希望 高田支部長 巽 信行

日々拝読する諭達第四号は、左の二つが柱だと思います。

一つは「教祖のひながた」もう一つは「世界たすけ」。

「人をたすけてわが身たすかる」と、「ひながた」の終わりに「たすけ」の大切さが唱えられているのに、真柱様はなぜあえて、「世界たすけ」を強調されるのでしょうか。

率直に言うと現状の教勢の衰えに対してのご心配を拝見します。

私たちがその真意を知るには、まず衰退の原因を思案する必要があるでしょう。

私は今昔の「家」の変化に気づきました。

かつて「家」は生活や社会のすべてをみたしていました。

仕事は家業(農漁業、商い)と言い、教育、医療、介護、付き合いまですべては「家」中心で、家長がいて指図していました。

そこでは「家のいんねん」が諭され、「親孝行」か「男が育つ」かが問題でした。

しかし経済成長期を経て核家族が大勢をしめ、科学文化が発達すると、家は存在感がうすれます。

病院、学校、会社、施設等が家の肩代わりをして、次第に家にはプライバシーしか残らなくなります。

実はこれが戸別訪問が難しくなった原因です。見知らぬ者が来ると攻撃された気分になります。

一方で人は社会に出て満足感を得ようとするため、興味と関心がある「場」には進んで参加して繋がりを求めるようになりました。

そうなれば、布教・においがけは教会より、地域に密着する支部が向いています。

また現代のおたすけに必須な「傾聴」と「寄り添い」は、対等にたすけ合える者同士で練習しあって進むのが適しています。

福祉関連のおたすけに横組織が多いのはそのためです。

時代は戸別訪問より「場」が必要とされているという自覚が、私たちには足らなかったのです。

私は、支部と教会は「縦」と「横」との関係ではなく、世界たすけに必要な「車の両輪」として「循環」しあう関係だと考えます。

支部等の横組織は「布教・においがけの場」、教会は「おつとめを芯として成人する場」。

「場」で引き寄せられた未信者が所属教会につながり、教会はおつとめを芯に彼らを育てる。

その人たちがまた支部の「場」で人材の発掘を担う。こうしておたすけの循環が生まれます。

一昨年、おぢばから一斉活動日の打ち出しを聴いたとき、私は即座にこの循環が浮かびました。

高田では「第一回ようぼく活動日」で「SDGs はお道の教え」と題し、歩くこと、物を無駄にしない、バイオマス農法の普及を呼びかけました。

これはまずようぼくの日常を変えようという試みです。

第二回目は「医療と私の祈り」で、元日本胃癌学会会長・胃癌治療の世界的権威である二宮基樹先生を招き、病気には医療と祈りが共に欠かせないという貴重な講演を頂きました。

二回とも布教への新たな視点であり、バイオマス野菜を分かち合ったり祈りと医療が繋がって布教の「場」をつくり、ようぼくが勇んで動けばそこから未信者が各教会につながり、やがておつとめを通し布教を担う人材になっていく。そんな将来の夢を想っています。

目標達成には三年千日で終わらぬ長期的な展望がいるでしょう。

 「動けば、なんぼうでも動ける。 さあ忙しい、何ぼう運んでも 身上障り無く勇む」(明治二十六年十二月十一日 刻限)

年祭活動の正念場、布教の「場」である支部は益々勇んで動きましょう。