篳篥にも盗賊を改心させた物語が「古今著問集」始め多くの書物に載っています。
平安時代に、和爾(邇) 部用光という篳篥吹きが四国(土佐の神社の船遊び)から京へ船で帰る途中、安芸の国の某湊で、海賊に襲われた。
用光は楽人なので弓矢の使い方も知らない。
身ぐるみをはがれた上、殺されそうになった。
覚悟を決めた用光は海賊に頼んだ。
「私は篳篥吹きだ。今生の名残に一曲だけ篳篥を吹かせてくれ。」と依頼した。
海賊の頭もそれくらいならと許してくれたので、これが最後と心を落ち着け、得意の「臨調子」(一説には小調子)という澄んだ清らかな曲を吹いた。
かなり哀切なメロディ―の曲であったのであろう、また、命の終える間際、心を込めた音色が四方に響きわたったのであろう、聴いていた海賊は次第に引き込まれ、声もなく、感激の涙を流しはじめ、とうとう海賊の頭は、「命は助けよう。取った物も返してやろうその上、途中海賊などに遭うとあぶないから」と(変な理屈だが)淡路島まで見送ってくれた。という話だ。
その時、用光が吹いた筆築が後の世に伝わって、名器「海賊丸」と名づけられたというわけである。
この話の中で「臨調子」という曲名が出てきますが、この曲は篳篥には伝わっていません。
笛にはあります。舞楽のときに使われています。平調にみられます。
和爾(邇) 部用光は「本朝篳篥相伝系譜」によると、大石峯良を始めとし、大西冨門をその弟子とし、その流れを汲んで源博雅と和爾(邇) 部用光がある。とも言われています。
また、この話だけではなく、平安時代や鎌倉時代の伝説には音楽によって雨を降らせたとか、盗人を改心させた、頑固な老僧も感涙にむせんだという話がたくさんあります。
それらはたいてい筆築にまつわる物語なのです。
筆築の音色や旋律には、何か聴くものの心を直接ゆさぶるような所があるのでしょう。
清少納言のような才女や貴族には人気が無くて、「クツワムシの鳴き声などと酷評されていますが。
海賊や盗人ばかりが感心する楽器というのも変なものです。