結婚当初から、主人は御用で家にいないことが多々あり、泊まりで不在の時もあります。
結婚してからは、義両親と過ごす時間の方が長いのでは? とさえ感じています。(笑)
同じく教会のお嫁さんたちからも、度々そんな声を聞きます。
「いってらっしゃい」と笑顔で、毎日気持ちよくお見送り… したいとは思っていますが、主人がいないその日の、自分がやるべきことを数えると、真顔…時には鬼の形相で送り出してしまっていて反省です。
話は変わりますが、新米母の私は、毎日、3人の子育てに奮闘しています。
まさに字の通り、力をふるって戦っています。
まだ全員が未就学児の我が家では、日に何度もヒヤヒヤ。
「えいやーっ」と、無駄に高いところから飛び降りてみたり、兄弟をながーい棒で叩いてみたり、重たいのにわざわざ台を運んできて、二階の窓から身を乗り出してみたり…
大人になる為にありとあらゆる実験を繰り返しているようですが、こちらは気を抜くことができない時間を過ごしています。
ある月次祭の日、当時2歳の次男がどこを探しても見当たりません。
探していると、玄関のドアが少し開いているのです。
一瞬で青ざめました。家の前は、車がビュンビュン行きかう道路です。
無我夢中で走り、周囲を見渡すと、数メートル先の歩道に、ちょこんと立っている姿がありました。
安心したと共に、「あー主人の伏せ込みのお陰で助けて頂いた」と、その瞬間に感じたのです。
ある時、主人が「家のことを気にせず、安心して御用に出られるのは本当に感謝しているし、一人で出かけても、夫婦二人で御用をさせてもらっていると思っているよ」という言葉をかけてくれたことがありました。
それを聞いてから、夫婦で「御用」と、「留守番」と、分担して過ごす毎日ならば、神様は私が過ごす時間も、私の心一つで、同じ理として受け取って下さるのかも。と考えられるようになりました。
立教一七二年の婦人会総会にておいて、真柱様は、「社会を構成する一番小さな集団である家庭の陽気ぐらし」が家族を超えて、地域社会、市町村に及んでいくという内容のお話をして下さいました。
そして、「その台は一軒一軒の婦人の陽気ぐらしによる」と、婦人の役割の大切さをお話下さったのです。
ずっと家にいながらの「陽気ぐらし」もすごく難しいと感じています。
ですが、婦人の陽気ぐらしが地域社会、市町村に繋がると聞けば、頑張るしかありません。
教会のことに、家事、育児、中には介護をされている方もおられると思います。
留守番とはいえ、それぞれに大変で、そしてまた、尊い御用だと思います。
悩んだり、不足したりの教えに添えない心を省みるのも大事なことですよね。
ですが、「よし! 今から10秒、陽気ぐらしをするぞ!」と加点方式でいくのも良いかもしれません。
その10秒が積み重なっていった時には、どんな楽しみが待っているのかとワクワクしながら、「留守番チーム」の皆さんへのエールと、自分への決意を込めて。(さみっちゃん)