【信仰随想20】教祖なら 教区主事 山本忠治

私どもの教会では、「常に『教祖なら』、と行動しよう」と目標を掲げています。

ある教会長夫人がこんな話を聞かせてくれました。 

教会の近所に八十代後半の他系統の信者Nさんが住んでおられ、毎月一日と月次祭には必ず教会に参拝されています。

ある月の月次祭にNさんが来られなかったので、みんなで心配しましたが、その日は連絡が取れませんでした。

翌日、マンションを訪ねましたが、応答がありません。

何とかカギを開けてもらいたいと思い、役所で管理人の連絡先を尋ねましたが、「個人情報なので教えられない」と言われました。

その後、何回もマンションに行きましたが、やはり応答はありません。

次の日の朝、必死の思いで親神様・教祖に祈りつつ、「Nさーん」とあらん限りの声を出して呼ぶと、「はーい」と小さな声が聞こえました。

思わず「親神様・教祖、ありがとうございます」と感謝しました。

「お風呂でこけて、丸二日間、湯船から出られないの」とのこと。

「ちょっと待っててね」と叫んで、すぐに会長さんに連絡しました。

パトカーや救急車、レスキュー隊など、何台もの車が来ました。

Nさんは六階に住んでいたので、レスキュー隊の方が七階から降りて来て救出してくれました。

その後、救急車に乗せられ、受け入れ病院を探している間に、会長さんがおさづけを取り次ぎました。

Nさんは「これでたすかった」と思ったそうです。

病院では「一ヶ月くらいの入院」と言われましたが、おさづけのお蔭か、骨折もしておらず、ビックリするほどの快復力で二週間で退院。

信じられないくらいの御守護をいただかれました。

Nさんが日頃から欠かさず神様の元に足を運び、心をつないでおられたからだと思います。

マンションを訪ねた時、私は足が不自由だし、雨もザーザー降りで寒いし、どうしようかと思いましたが、「教祖なら」どうなさるだろうかと考え、思い切って行かせてもらってよかったと思いました。

教祖のお心は、どんな時も親神様の御守護や親心を感謝して通られた喜びの心。

「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」と仰せられたおたすけの心。

私にとって、常にその心を持って通るのは難しく、つい不足してしまったり、おたすけの機会を逃してしまうこともあります。

まだまだ教祖のひながたとはかけ離れた通り方でありますが、教祖年祭の旬に、少しでも教祖のお心に近づけるよう、「陽気ぐらしへと進むただ一条の道」を辿れるよう、日常の様々な場面において、「教祖なら」と考えて行動したいと思います。