災救隊、たすけ合いの誠を尽くす真実の思いで実働
元日の地震発生以降、懸命な復旧作業が進められている「令和6 年能登半島地震」の被災地。
6月3日朝には、能登地方を震源とするM6.0の地震が発生し、輪島市や珠洲市で震度5強を観測するなど、依然として不安が続いている。
そんななか、災害救援ひのきしん隊奈良教区隊(植田一平隊長)は、本部隊第36次隊として6月9日から12日にかけて隊員14名が出動。
今回、初めて現地での救援活動に参加された中山大亮様と共に、珠洲市で実動した。
地震発生から約半年が過ぎた能登半島。
のと里山海道を北上し、七尾市から穴水市へ入ると、車内から見える景色が一変する。
道路のいたる所に亀裂が残り、修復が進められているものの、未だ道路が崩落したままの場所も少なくない。
山間部では、土砂崩れの影響を受けた山が連なり、点在する集落には、雨漏りを防ぐためのブルーシートが張られたまま。
倒壊の危険度を現す「応急危険度判定」の張り紙は、ほとんどの家屋が赤色の「危険」が貼られていた。
そんな景色を見ながら、一人の隊員が「1月から何度か救援活動に来ているが目に見える状況は大きく変わっていない気がする」と。
また、穴水市で飲食店を営む男性の「珠洲市や輪島市はようやく公費解体作業が始まったが、この地域ではまったく手が付けられていない」との言葉に、隊員一同、今回の地震による被害の甚大さと、復旧作業の困難さを改めて実感した。
奈良教区隊として、4回目の出動となった今回は、前回と同様に輪島市の日本航空高校石川の校舎内を宿営地として、珠洲市へ出動。
倒壊した布教所の解体と、被災家屋のブロック塀解体を、心を込めて作業に当たった。
初日の作業では、中山大亮様をはじめ、青年会本部のメンバーと共に布教所の屋根瓦を搬出。
二日目以降は、バックホー(油圧ショベル)を駆使して、解体作業に従事した。
また、ブロック塀解体ではその高さが1㍍60㌢と高く、すぐ隣の家屋にもたれかかっており、いつ倒壊してもおかしくない状況。
二次被害に細心の注意を払い、声をかけ合いながら少人数で作業を進めた。(記・森井正次常任委員)