(六)横笛
葉二 博雅三位の笛「朱雀門の前で終夜笛を吹く云々」の逸話の時の笛。その後宇治平等院建立の時、経蔵に納められたという。天下第一の笛である。
薄墨 源頼義の笛。駿河の久能寺に納めてあると言われる。これ等は書かれている名器のほんの一部に過ぎない。この他にも鞨鼓・太鼓・鉦鼓から面に至るまで盛り沢山である。しかし、これ等の名器がどこかに残っているというのは聞いたことが無い。もしかしたら夫々ゆかりのある処にひっそりと存在するのかもしれない。
『小右記』などの平安時代の日記類を見ると、禁裏の火災が実に多いのに驚かされる。
『日本紀略』に「康保二年(九六五)七月四日、今日子時雅楽寮七間舎一宇失火、楽器皆焼亡云々」とあって、これは火元が雅楽寮だったので保管していた楽器と装束が灰になってしまったのは当然だと思われるが、この他にざっと拾い出してみても、天元三年(九八〇)十一月、同五年十一月、長保元年(九九九)、同三年、寛弘二年など、わずか十年余の間に五回も火災を起こしている。
その度に多少の差はあれ楽器などが焼失しているとすれば、演奏にも支障を来したであろう。
当時から笙・篳篥・笛などの管楽器は個人が所有していたとしても、打楽器や絃楽器などの大きなものは「楽所」など禁裏内に保管していたのだろう。
荻美津夫著『平安朝音楽制度史』に次の様な記述がある。
「時の堀川天皇の御所は堀川院にあったが、寛治八年(一〇九四)十月二十四日、大宮東二条南小屋より出火した火は、折りからの強い西風によって堀川院に延焼が迫ってきたとき、鈴印辛櫃・御釼璽筥などと共に管絃具も取り出したとある。この管絃具とはふだん清涼殿調度品として備えられている横笛や琵琶などの名器のことと思われる。」
この記述によっても名器といわれる楽器の多くは御所にあったことが伺われる。
そして應仁の乱という決定的な火災によって御所は勿論、殆どの貴族の邸宅も戦禍にあって、恐らく多くの名器が灰になったのではないだろうか。