(一)和琴
鈴鹿…江談抄という本によれば「累代天皇の渡し物である」という。
河霧…上東門院が持っておられた和琴とか。この楽器は『拾芥抄』という書によれば、承平九年(九三八?)の目録に書いてある。とあり、萬治四年(一六六一)正月の禁裏 炎上で消失したとなっている。承平という年号は七年までしかなく、また木の楽器が七〇〇年も残っていたというのも少々怪しいような気がする。
(二)筝
秋風… 延喜帝の御物だが、崩御の時山稜に納めたという。
洲濱… 四辻公理卿の物で、螺細紋で洲濱があり、小野小町の筝だと言われるが、やはり萬治四年に消失したとある。
佐佐波…伝えによれば、古くは小督局が弾いたと伝えられ、玉戸の中に桐の紋があり、象牙で作られているとか。現在(元禄三年)嵯峨の新常寂寺にある。
(三)琵琶
玄上…村上天皇の御物。撥は水牛。撥面に馬上で打球をしている畫がある。
玄象…仁明天皇の御物。紫檀槽の一枚板。撥面黒象を書いてあり、唐の琵琶である。
虎…一説によれば佐藤忠信の琵琶で、常陸国水戸の寺にあると言われる。
(四)笙
大蚶気繪… 官物。管の上下に彫物があった。管の上に鳳凰が、管の下には一寸ほどの人形の彫物。(中略) 崇徳帝の保延四年(一一三九)内裏炎上の時焼失。
天暦…村上天皇御物。年号を名前にした。
空穂丸…別名を一名達智丸。源義家愛用の楽器といわれる。
太子丸…二條家の重器。聖徳太子の作った笙といわれ、この名がある。
(五)篳篥
海賊丸… 和邇部用光の管。又の説によれば、雅楽寮の人々が宇佐神宮に向かう船に乗っていて海賊に襲われた。その時、茂光という楽人が小調子を吹いたところ、海賊はその音に感じ入って退散した。それで海賊丸という。
波返…官物。古い楽器だったが、萬治四年の禁裏炎上の時焼失した。