ところで、日本にも古代から「日本独特の音楽」がある。
それは「国振歌舞」として現在も伝承されている「神楽歌、東遊、大歌」などの歌と舞である。
そしてそれ等には日本独特の楽器が使われていた。
和琴、神楽笛、そして笏拍子である。
和琴は、「琴弾き埴輪」として知られる埴輪が出土しているように、非常に古くからあったらしい。
六本の絃が張ってあるが(一説では古くは五本だったという)中国に六絃の琴はないので、この琴は日本独特の楽器だと思われる。
神楽笛もこの太さ、音律の笛は日本だけのものである。
笏拍子、これも楽器だとすれば、やはり日本だけのものである。
「国振歌舞」は外来の音楽とは違い、どちらかといえば精神性の強い静の音楽である。
そのような音楽に親しんでいた都人が初めての外来音楽をどう聞いたのだろうか。
遥かに時は流れて明治のはじめ、文明開化の日本にヨーロッパから今まで見たことも聞いたこともない新しい音楽が入ってきた。
西洋音楽の登場である。
この時の日本人の反応が飛鳥の昔、初めて雅楽を聞いた日本人の驚きと共通しているのではないかと思われるので書いてみよう。
幕末、日本で最初に異国の音楽に接したのは長崎の人達だった。
「長崎名勝圖絵」という本に蠻方の楽器のことを
「ビョオル・板張りの提琴なり。此方用いる如く皮を以て張ることをせざるなり。トロンムル・太鼓なり。トロムペット・喇叭 なり。ワルトホーン・曲り喇叭。テリヤングル・銕杖を三角に曲げて箍をいれ、これを桴にて撃つなり」
と解説が書いてある。
では、実際の音楽を日本人はどう聞いたのだろうか。
また、西洋人は我国の音楽をどう聞いたのだろうか。
フランス人のジアン・クラセという人が、享保一九年(一七三四年)パリで出版した『日本正教使』という本に
「我が国のリユゥト・ウイヨロン・トロムペット及び総ての音楽は日本人の耳に楽とせず、日本人の音楽は亦我が国人にありては唯耳に喧噪を感じるのみ」
とあって、お互いにあまり好感を持てなかったようである。
しかし昔から日本人は、良く言えば進取の気性に富み、悪く言えば新しいもの好き、新しいものには野次馬的興味を強く示す性質を持っている。