蝉丸【其の四十一・四十二・四十三】

「今は昔」で始まる「今昔物語」の巻二十四の二十三話に源博雅が蟬丸法師に琵琶の秘曲「流泉」と「啄木」を習得する話が載っています。

ちょっと意訳になりますが、某紙にあったものを掲載します。

今も昔も、人が心の底から学びたいと思ったとき、その人はもう既に学んでいるものでございます。

山科から東へ山道を進んだ奥深くに逢坂の関はある。

京から東国に抜ける道なので、山の勾配の割には人手がある。

商売なのだろうか、大きな荷物を抱えた商人風の人が多い。

博雅は手ぶらであった。目的が目的である。何も道具などいらない。

ふと足を止めて汗を拭くと、高く澄んだ鳥の鳴き声が夕暮れに吸われていく。

まるで歌うような美しい鳴き声だ。京では聞かないので、山の鳥のものだろう。

もうすぐか。博雅は疲れた足に弾みをつけた。

「流泉」、「啄木」を弾けるものがいる。

そう聞いてから、博雅はいても立ってもいられなかった。

「流泉」、「啄木」は唐からもたらされた琵琶独奏曲である。

門外不出の秘曲として限られた楽士のみの間で伝承されていたが、その伝承が途絶えていた。

失われていたと思われていた秘曲が失われていなかった。

人から人へ、伝えられたに過ぎないうわさ話を、博雅は人脈をつかってたどり、そのものの名を蝉丸ということ、盲目であり、逢坂の関に住んでいることを突き止めた。

そして、使いのものを通して京に住んではどうかと誘ったのだが、返事はもらえなかった。

代りに、和歌をいただいた。

世の中はとてもかくても過ごしてむ宮もわら屋もはてしなければ(この世の中は、どのようにしてでも生きていけるものです。美しい宮殿も、とても粗末なわら屋でも、結局はいつかは無くなってしまうものですから。) 

・・・丁寧に断られたものだな。

山奥に居を構えるに至った蝉丸の人生を慮れば、軽々に誘っても断られるだけだと、考えれば分かりそうなものだが、あの時は秘曲をしりたくて聞きたくて、その思いだけが先走ってしまった。

それから三年に渡り、博雅は蝉丸の庵をこうして訪ねている。

しかし、蝉丸は「流泉」、「啄木」を弾こうとはしなかった。

寡黙な盲人はその理由を語らなかったが、今日、八月十五日、博雅は再び蝉丸を訪ねようとしていた。

逢坂の関に着いた頃には日も暮れていた。

満月がおぼろに霞み、気持ちのいい風が下葉をかすかに揺らしている。

・・・・何とも興ある夜ではないか。

蝉丸はこんな夜こそ「流泉」、「啄木」を弾くのではないか。

逸る気持ちに合わせて踏みしめた足はしかし、そろりと止まった。

虫の音に重なるようにして、琵琶の音が聞こえたように思ったのだ。

息を止めて耳を済ませると、確かに琵琶の音である。博雅は駆けた。

蝉丸のわらをふいた庵は朧月の月の光に沈むように佇んでいた。

蝉丸は曲ではなく即興で、音から音へ赴くままに、音から無音に流れるままに、思うままに琵琶を奏でているようである。

さらに、琵琶に合わせて和歌を詠じた。

会坂の関の嵐の激しきに強いてぞいたる夜を過ごすとて(会坂の関を吹く嵐の激しさに、眠ることなく一夜を過ごそうと、じっと座り続けているのです。)

詠うに合わせて琵琶を掻き鳴らす。

その声はこの世のものとは思えない響きをもって博雅の身を包んだ。

一人の人間が発する声、奏でる音とは思えない迫力がある。

同時に、今にも消えてなくなってしまいそうな儚さがある。音に包まれて庵そのものが異界とつながるような不思議な感覚と感動に、博雅は涙を流していた。

やがて音が止み、蝉丸の静かな声が朗々と響いた。

「何とも趣深い夜ではないか。この世には、わたしの琵琶の本当の音色を分かる人がいるはずだ。管絃の道を知る人が訪ねてくればよいのに。琵琶について、語り尽くしたいものだ。」

ささやき声なのに、博雅には一音一語はっきりと聞こえた。

まるで、そこに博雅がいるのを知っていて、博雅に向けて発しているかのような、不思議な声である。

「京に住まう博雅がここに来ておる」いつの間にか博雅は庵の庭に立ち、名乗り出ていた。

「京にて源脩に琵琶を学んだ者。ようやくあなたの琵琶を聞くことができた」

そうして庵に上がり、琵琶について、雅楽について語り合った後、「『流泉』、『啄木』を聞かせてくれまいか」と頼んだ。

「亡き式部卿宮はこのようにお弾きなされました」と言って、蝉丸はそれらの曲を伝えた。

博雅は琵琶を持参していなかったので、全身全霊をもってその旋律を拍節を習った。

すべてを口伝したときには、庵の外も白み始め鳥のさえずりがあちこちで聞こえていた。

博雅は蝉丸に礼を告げ、草庵を辞した。心地よい疲労感が帰路の足取りを軽くしていた。

今昔物語にある、蝉丸の話を「小説風」に書いた文章があったので掲載しました。

今昔物語は、原文は「源博雅朝臣行会坂盲許語 第廿三 今昔、源博雅朝臣と云ふ人有りけり。延喜の御子の兵部卿の親王と…」とあります。

さて、蝉丸について書きますと、百人一首に是れやこの行くも かえるも 別れては知るも しらぬも 逢坂の関という、有名な歌があります。

第9代宇多天皇の第8皇子・敦美親王の雑色。醍醐天皇の第4皇子。延喜帝の子、など諸説があり、はっきりしません。

盲目の身で琵琶の名手であったことは確かなようです。

生没不詳でとにかく謎の人物だといってもよいでしょう。

また、笛の名器に「蝉丸」という名管がありましたが、保延四年十一月二十四日夜半、土御門内裏炎上のとき焼失したそうです。