当たり前じゃない世界【中田大安①】

日本から赤道を超え、南へ約8千㎞。

オーストラリアの地で過ごした6年半は、私の人生のかけがえのない宝物となっている。

「わあ、空が広い」ありきたりな感想だが、まだ純粋な心を失っていなかった若干15歳の私が、異国の地に降り立った瞬間に最初に抱いた感想だ。

この時はまだ、このあと幾度となくカルチャーショックの洗礼を受けることになるとは思いもしなかった。

今回は、私がカルチャーショックから学んだ親神様のご守護の一端をご紹介させていただこうと思う。

クイーンズランド州にあるオーストラリア第三の都市ブリスベンから約20キロほど離れた街に天理教オセアニア出張所があり、そこで3年半お育ていただいた。

オーストラリア大陸は、砂漠地帯が多く広がり、とても乾燥している気候地域である。

さらに、都市にもよるが年間の降水量が少ないのも特徴の一つである。

これらの理由から、オーストラリアでは水不足が長年の問題となっている。

家庭などで全く水が使えないということはないが、水の使用には限りがあるという意識が現地の人々に浸透している。

私は水に困ること無く人生を過ごしてきた。

水を使えることは決してあたりまえではないと頭では理解していたが、改めて振り返えるともったいない水の使い方をしていたことが多々あったように思う。

ナイアンダ高校の友人と

例えば、オーストラリアの一般家庭では、浴室にある湯船に毎日お湯を張って使用する家は少なく、ほとんどはシャワーで済ますのが常識である。

ちなみにオセアニア出張所には湯船はなく、シャワールームが設置されている。

また、大学生時代に住んでいたシェアハウスでも、ハウスルールの一つに、シャワーは5分~10分以内で浴びるようにという項目があった。

太陽光発電でお湯を沸かしていたため、使えるお湯の量が限られていたことも理由だが、その根底には水の大量使用を防ぐ目的もあるのだろう。

「この世は神のからだ」と教えられるが、水の惑星ともいわれる地球はその表面の3分の2が水分で覆われている。

また、親神様からお借りし、ご守護により生かされているこの人体の約60%も水である。

つまり、「水」は生命の源であり、生きていくために必要不可欠なものであるといえる。

常識といえばそれまでだが、それが親神様から絶えず受けているご守護だということを、毎日を過ごす中であたりまえにしてしまい、感謝を忘れてしまってはいないだろうか。

カルチャーショックと聞けばマイナスに捉えがちである。

しかし、一見ネガティブなことであっても、受け止め方次第でポジティブなショックになることもある。

12年前に受けたカルチャーショックは、決して忘れてはならない水のご守護のありがたさを未熟な私に教えてくださったとても貴重な経験であった。(中田大安)