手を合わせる【橋本孝介②】

私がタイで生活していた毎日の中で、一日一度は必ず行う動作がありました。それは合掌です。

タイでは多くの方が主に仏教を信仰されており、街の至る所にある寺院で手を合わせる姿をよく目にします。

また、「こんにちは」「さようなら」などの日々の挨拶をする際も合掌を行います。

祈る時に行う“手を合わせる”という行為は、一つの“習慣”となっており、仏教が生活の中に定着している、と言えると思います。

実際、私がタイでにをいがけをしていた際も、「無宗教」という方には一人も出会いませんでした。

もちろん熱心さという点では各々ではございましたが、私がにをいがけで出会った方々は、信仰をしっかり持っておられる方が多かったように感じます。

天理のお話をさせていただいた後、逆に仏教の教え、信仰について熱く語られたことが多々あり、また、仏教徒の方以外にも、キリスト教徒や他宗教の方に説教を頂くこともありました。

己の信仰の未熟さ、教えの無知さを実感すると同時に、しっかりと私に説教するその方々の教えの理解、悟り、その信仰の姿勢に、唯々すごさを感じていました。

そして、タイで天理教を信仰をされる現地の方々と接する中でも多くのことを感じました。

その中で特に感じていたことは、“神様との距離”の近さです。

これは私個人の感想ですが、皆さんにとって神様は“特別”な存在であり、また常に“身近”な存在でもあるのではないかと思います。

当たり前のように信仰が生活の中にある、祈る行為が日々の中にある皆さんから、神様に心を寄せる“信仰者”の姿を学ばせていただいたように思います。

布教所での団らんのひととき

また、信仰をする上で、私に影響を与えた言葉があります。それはバンコクにある布教所で、ご兄弟と共に熱心に御用に励まれる方からの言葉で、私が不足をしてしまっていた時にお話して下さいました。

「タイで天理教を知らない人が多い中、元始まりの教えを知ることができた私達は幸運なんですよ。本当の神様を知っていますから。」 

誰にでも、自分の力、知恵だけではどうしようもできない事情、身上に出くわし、苦しく歯痒い思いをすることはあります。

そんな時、手を合わせ、お願いをする本当の神様を知っているということは、確かに幸運なことなのかもしれない。正直考えもしなかった言葉でしたが、それ以来、その幸運を感じることが増えました。

「無宗教」という言葉が存在する国で信仰を続ける私ですが、幸運を感じながら、毎日親神様・教祖に手を合わせる。

色んなお話をしながら、これからも“心の距離”を近づけていきたいと思います。

そして、一人でも多くその“幸運”を感じられる人が増えるよう、日々勤めていこうと思います。

もしそんな私を幸運な人だと感じて下さる方がおられたら、一度タイで現地の空気を吸ってみるのもいいかもしれません。

素敵な方々に出会い、素敵な経験をされることを願っております。

それでは、チョークディークラップ。(橋本孝介)