ぬくもり
― 教会の台・家庭の台 ―


   「自分磨きと役割」

橿原支部主任 森井幸子 

 あれは七年程前だったでしょうか。知人の出直しという大きな節をお見せ頂きました。

 「今日から入院なの」と一本の電話。大変なことになったと思いながら、元気づけようと車を走らせました。見送りに間に合い、知人の後姿を見たとき、「帰って来ないだろうな」との思いがよぎりました。この知人の人生を、私の知ってる限りの思案をさせて頂きました。知人の夫の姿や子供達の姿、何よりも夫婦の姿を見つめた時、大きな勉強をさせて頂きました。

 「われが、おれが」での心使い、「恩を着た姿」など、今まで余り大きく捉える事無く、さんげのよすがとして口に出したりはしているものの、知人を通して成人させて頂けた事に、親神様、教祖にお礼を申し上げた日がありました。


 そして、教祖百二十年祭三年千日一年目、大教会信者会館落成の年、主人に「慢性腎不全」という大きな身上を頂きました。

 この時、「なんで」というような気持ちは全くなく、「来たか」という思いが致しました。「私達、親神様、教祖にお喜び頂ける道を歩ませて頂けていないもの、身上を頂くよね」と思ったのです。そして「このような身上を頂くまでの心使いをさせてしまった私である」と大きく反省を致しました。

 また「会長の身上は教会の身上、それぞれの心定めを」と信者さん方にもお願いを致した日があります。

 知人の出直しを通して大きく成人させて頂き、会長である主人の身上を通し一日のお与えに喜ばせて頂き、家族が力を合わせ自分磨きに努めるお互いです。

 自分磨きはなかなかに大変ですが、経験から伝えておかないといけない事、言って正してあげないといけない事など、私の役割を感じます。と同時に、「塩」の役目の必要さも大きく感じる所です。

 「真のたすかり」を思う時、傷口への塩の役目を、嫌われてもしていく努力を、教祖のみ教えに添ってつとめていきたいと、日々感じております。