『教祖伝逸話篇イマジネーション』
                        絵と文 村方米太


教祖は、山中忠七に、
「神の道について来るには、百姓すれば十分に肥も置き難くかろう。」
とて、肥のさづけをお渡し下され、
「肥のさづけと言うても、何も法が効くのやない。めんめんの心の誠真実が効くのやで。」
と、お諭しになった。

やがて八月が過ぎ九月も終りとなった。肥料を置いた田は、青々と稲穂が茂って、十分、秋の稔りの豊かさを思わしめた。が、これに反して、肥のさづけの肥だけの田の方は、稲穂の背が低く、色も何んだか少々赤味を帯びて、元気がないように見えた。

ところが、秋の収穫時になってみると、肥料をした方の田の稲穂には、蟲が付いたり空穂があったりしているのに反し、さづけの方の田の稲穂は、背こそ少々低く思われたが、蟲穂や空穂は少しもなく、結局実収の上からみれば、確かに、前者よりもすぐれていることが発見された。

天地万象も人の「誠真実」が効いたのである。そして、その生き方は、この時代だけではなく、現代も「誠真実」が効くことに変わりはないのです。

ことしハこえおかず じふぶんものをつくりとり
 やれたのもしや ありがたや

忠七さんの気持ちを描いてみました。
教区報より