「ひのきしんを通して」
                                  主事  倉幹雄

 以前、教会の葛城川清掃ひのきしんの模様を、教区報の「旬歌集動」で掲載していただいた。その頃は、まだ定例ひのきしんとして活動を始めたばかりで、載せていただくのも申し訳ない思いであったが、そのお陰もあってか、今年の3月で丸4年続いている。

 「全教一斉ひのきしんデー」提唱七十周年の旬、教会としても地域の上に何かお役に立てるひのきしんは無いか、又、陽気ぐらしの道場といわれる教会に住まいさせていただくお互いが、それを通して一人一人の信仰生活を見つめ直し、更にはその姿がよふぼく・信者の方々の成人に繋がれば、と少々欲張った思いで、町内の代表者の方とも相談を重ねて始めさせていただいた。

 当初は、集めたゴミの処理問題等で範囲的な制約が有り、時間や人手に余裕があっても範囲外ということで目の前にあるゴミすら片付けられなかった。「あのゴミも片付けたいですね」という声を聞きつつ、なんだか我家の敷地だけを清掃し、その他は見て見ぬ振りをしているような妙な感覚になり、およそひのきしんの精神とは懸け離れた姿ではないかと罪悪感に似たものすら感じた事もあった。

 しかし、そんな状況の中でも続けるところに、段々と有り難い繋がりを与えて頂き、今では集めたゴミは、市の方で回収し、処理して頂けるようになった。更には担当の方から清掃奉仕団体として登録させて頂きたいとの声も聞かせて頂き、勇みの種まで与えて頂いた。有り難いことである。改めてコツコツと積み重ね、続ける事の大切さを感じさせて頂いた。

 それにしても、当初のようなバイク、自転車、家電といった大型ゴミこそ減ったが、空き缶、ペットボトルといった、いわゆるポイ捨てされたゴミは、毎回相当量集まるところに現代のモラルの低さを感じる。

 教祖百二十年祭の意義深い年、我々の日々の行いこそがこの道のにをいとなる事を合わせて思う時、こんな時代だからこそ、この旬だからこそ、心ひとつで出来るひのきしんの素晴らしさを世に伝え、実動の姿をもって香しいにをいを移す事の重要性を感じる。

 今年の「全教一斉ひのきしんデー」には50万人という大きな目標を与えて頂いた。一人ひとりの真実を、時と場所を定め、一つ所に結集して勇んでつとめる姿は、計り知れない程の香しい道のにほいを放つものと思う。その日を目指し一人でも大勢の方に参加して頂けるよう、心をくばり声を掛けるのはもちろんの事、常日頃からの実動にもより一層勇んでつとめ、その輪を拡げて行きたい。

  よくをわすれてひのきしん 
  これがだいゝちこえとなる