「真実の種を蒔こう」
                                  主事  宇惠義司

真夏のおぢばは、「こどもおぢばがえり」「学生生徒修養会・高校の部」と若い人達の活気溢れる姿で賑わった。さらに、9月には「全教一斉にをいがけデー」が開催され、国々所々で老いも若きも残暑吹き飛ばす熱のこもった実動が期待される。

ところで、においとはどういうものなのだろうか。辞書で調べてみると、古くは、「人の内部から立ち現れる、豊かで生き生きした美しさ」という意味でも用いられていたようである。

お道で使っているにをいがけは、こういう匂いをかけることではないだろうか。人間の中身は、心である。心からにじみ出る豊かで生き生きとした美しい表情、言葉、振る舞い、まさに教祖のひながたそのものである。

さらに、心を調べてみると、「人間の理性、知識、感情、意志などの働きのもとになるもの」と記されている。成る程その通りである。人は身に付けた知識や技量で生活しているが、それを使うのは心である。しかも、心は自由であるがゆえに、どんなふうにも使える。悪しき心では、身に付けた知恵ですら悪知恵になってしまう。

人間は、いくら頭で善いことと分かっていても、気持ちがなければ些細な善行さえ出来ないものである。また、頭が良い人が皆、医者になるとは限らない。医学の道を志し、それに向かって努力する者が医者になるのだろう。つまり、何に向かって、どういう心があるのかで人の生き様は、変わってくるのである。

人をたすける心の涵養と実践と仰せ頂く年祭活動。たすけ心があるからにをいがけするのだろうか。むしろ、たすけ心を養うためににをいがけするのではないか。

泳ぎを覚えるのに、本を片手に畳の上でいくら練習しても泳げるようにはならないだろう。まず、水の中に飛び込み、水に慣れることからはじめ、見よう見まねに泳ぎながら覚えていくものである。

人は皆幸せになりたいと願う。物事が成るには、全てにその元がある。元は種とお教えいただく。救ける理が救かると仰せ頂く。この旬にしっかりにをいがけを実践し、結構な与えを頂戴できる真実の種を蒔かせていただこう。




掲載:立教168年9月号