「たすけ心の涵養と実践」
                                  主事  中川徳弘

 私は現在、奈良教区で災害救援ひのきしん隊隊長という御命をいただいています。その上から、教祖百二十年祭へ向かう年祭活動へ入って、道と世間は合図立てあいと聞かせていただく通り、様々な災害が全国で起こるなあと感じております。

 そんな中、奈良教区では昨年、福井、三重、兵庫へと、三度の水害に対して出動し、毎回三十名前後の方々が出動下さって、被災地の方に大いに喜んでいただく事が出来ました。

 私自身もその内二度出動させていただきましたが、その時、出動したものだからこそ味わえるたすけあいの素晴らしさという大きな感動を味わいました。

 災害は突然起こるので、出動して下さった方々は、何らかの都合がある中を、非常時との思いをもって、都合を付けて出て下さった方ばかりであります。私自身も、隊長という立場をいただいてなかったなら、都合が悪いと断っていたのでないかと思います。

 この事から私はたすけあいという事について、考える事がありました。 例えば、災害によって被災した様子などがテレビ等で生々しく放送された時、気の毒だと思わない人は、ほとんどいないでありましょう。そして、お道を信仰させていただいています我々は、それだけでなく何かさせていただきたいという気持ちも持たせてもらいやすいと思うのであります。けれども、その思いを持つ事と実際実動する事の間には、乗り越えなければならない壁があると思ったのであります。

 昨年の出動に関して私にとっての壁は、自分の都合を横に置くという事でありました。そんな中、三度の出動の内、私が二度は何とか出動できたのは、自分が隊長という立場を頂いていたからだと思います。その立場の自覚があったから、出動まで辿りついて、あの感激を味わえた様に思うのであります。

 この事をおたすけについて考えた時、どうなるでしょうか。自分の廻りにおられる気の毒だなあと思う方に対して、たすけさせていただかねばなあと思う段階から、壁を乗り越え実際に実動につなげ、おたすけの喜びを味わう為に必要であるもの、それは自分がよふぼくであるという自覚でないかと思います。

 「人をたすける心の涵養と実践」 を合言葉につとめさせていただいてまいりました年祭活動も残りわずかとなってまいりました。世界たすけに向かうよふぼくとの思いをもって総仕上げにつとめさせていただきましょう。